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大野和士さんが東京フィルとともに一時代を築いた「オペラ・コンチェルタンテ・シリーズ」では、そのほとんどの公演の制作にかかわり、その音楽面において非常に重要な役割を演じられました。 コレぺティトゥアと言うと、まだまだ日本では、コンサートピアニストへの道をあきらめた人がコレぺティトゥアを志願するという傾向も残っている中で、足立さんは、コンサートピアニストとコレぺティトゥアの両分野において非常に優れている、というユニークな存在です。 この「ゲストルーム」では、現在の足立さんのコレぺティトゥアとしての立場から、コレぺティトゥアについて、また、大野和士さんとの歩みについて伺いました。 (2003年1月、3月 江古田にて)
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参考文献 |
グランドオペラ 13号(1997年5月)
大野和士のオペラティック・エッセイ「ドイツの劇場から」第3便 「日本人コレペティトールは使命感にあふれた苦労人」 |
グランドオペラ 6号(1994年6月)
足立桃子が語るオペラの現場 |
「WAGNER JAHRBUCH 1998」東京書籍
特集対談−指揮「演劇的に、音楽的にオペラを語る」 |
音楽現代1987年3月号短期連載
大野和士「指輪を支える人々」 バイエルン国立歌劇場「指輪」公演徹底リポート |
取材協力 | 緑川まり(ソプラノ) |
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大野和士との出会い |
足立桃子さんと大野和士さんとの出会いから教えてください。 |
1990年にキャスリーン・バトルの「ガラ・リサイタル」の指揮を大野和士さんが務めた時のことです。はじめ、大野和士さんがチェンバロも担当する予定でいたところ、キャスリーン・バトルが「指揮者は指揮に専念してもらわないと不安」との申し入れがあり、急きょゲネプロの時から私が呼ばれました。結果は、あの気難しいキャスリーン・バトルも大喜びする大成功。それ以来、マエストロからご指名をいただくようになりました。 |
なぜ共同の仕事が長く続いたと思いますか。 |
東京フィルの「オペラ・コンチェルタンテ・シリーズ」では第2回目から、ウィーン国立歌劇場での研修の時期を除いて、全てかかわりました。とくに大野和士さんがザグレブ・フィルなどで多忙になられてからは、留守中は音楽面の全てを任されていました。 どうして信頼関係を築くことができたのか。それは、私にとっての大野和士さんが、音楽面でも世界観でも、トータルに尊敬できる存在であったからです。 例えば、歌手の起用ひとつ取っても、小さな役にも莫大なギャラを払って欧米人を招聘することが当たり前だった中で、欧米人でなければこなせない役以外は極力日本人を、日本人に役に適した人がいなければアジアでインターナショナルなレベルの人を、というキャスティングを目指す、という方針でぴったり一致していました。 また、ご自身を含め、オペラを熟知している指揮者のことを、いわゆる「オペラ指揮者」として限定しない姿勢をお持ちです。私自身も、コレぺティトゥアにとどまらず、広い意味で「ピアニスト」でありたいと思っていましたので、共感することができました。 |
東京フィルのオペラコンチェルタンテシリーズは、ほとんどの場合1回公演でしたが、そのたった1回のために、歌手はどのくらい練習したのですか。 その練習に、大野和士さんはどのようにかかわったのですか。 |
演目や予算にもよりますが、だいたい3か月前から練習に取りかかりました。 ただし、難物は半年前から準備を始めました。例えばショスタコーヴィチの「ムツェンスク郡のマクベス夫人」は、キリル文字の読みを理解するところから始めなければなりませんでしたから。 大野さんは、それらの全てにイニシアティヴを発揮しました。さらに、大野さんは時間のある限り歌手の稽古に参加し、時には自分でピアノを弾いてコレぺティトゥアの役割もこなしました。 指揮者によっては、舞台稽古も進んで、歌手とオーケストラの合わせの段階になって「社長出勤」する人もいますが、とんでもないことです。自分ではピアノを弾くことができなかったり、オペラ作品に対する理解が浅いことをカモフラージュするために、人にやらせているような感じさえ持ってしまいます。 |
オペラコンチェルタンテシリーズなどの共同作業を通じて見た、指揮者としての大野和士は。 |
音楽面でのテクニック、センスの良さは言うまでもありませんが、オペラに対するアプローチには、ひたすら感服させられました。 「歌もの」を振る際に、ソルフェージュ的な感覚の縦割りからではなく、声(息)、フレーズの流れ、言葉、ドラマ、作曲当時あるいは原作の当時の社会的背景などからアプローチしていく。 また、歌手の生理(歌うときの息継ぎやフレージング)も熟知しつつ、なおかつ歌手に迎合することなく鮮やかに音楽を引き締めていく。そのバランス感覚がまさに絶妙。日本人の中だけで比べて言うのではなく、世界的に見ても稀なレベルだと思います。 もうひとつ、一緒に仕事をしていて感じたのは、大野さんは、コレぺティトゥアが歌手をきちんとコーチした形跡に気付く唯一の指揮者である、ということです。例えば、私がピアノを弾くのを聞いて、すぐにピアノ譜に加えた音に気が付く、あるいは不足した音を即座に指摘する。そして、歌手の進歩を察知できる能力…。 それは、ソルフェージュ能力に優れているだけではなく、オペラで使われている言葉やドラマに精通していないとできないことです。 ですから、大野さんと一緒の仕事では、絶対に手抜きは出来ません。 |
オペラコンチェルタンテシリーズの中で、足立さんにとって思い出に残る公演はなんでしょうか。 |
なんと言っても、ブリテンの「ピーター・グライムス」です。 この作品がオペラとしてだけでなく、オーケストラ曲、合唱曲、演劇、どの側面から見ても完成度が高いところに、大野さんの音楽、グライムズ役のエヴァンスさんの好演が見事にマッチして、このシリーズの中でも完成度がもっとも高いもののひとつだったのではないかと思います。 |
オペラコンチェルタンテシリーズのも含め、オペラとしてやりがいのある作品、難しい作品はなんでしょうか。また、その理由は。 |
それはシュトラウスの作品ですね。 まずは音程、リズム等のソルフェージュ面がとても込み入っていて、ドイツ語もギュッと詰め込まれていて、整理のしがいがあることです。 それらの作業を適当に誤魔化さず、きちんと作っていってはじめて、あの時代独特の耽美的な音が聴こえてくる….私の場合、その瞬間のために肩をバリバリに凝らして頑張っていると言っても過言ではありません。 |
ピアニストが、コレペティトゥアとしてその楽譜を弾くことには、特別な能力が必要とされるのでしょうか。簡単に言えば、ピアニストとして上手い人は、コレぺティトゥアとしても良いと言えるのでしょうか。 |
ピアニストとコレぺティトゥアとの間に、垣根はありません。 オペラに即してヴォーカル・スコアを弾きこなすには、ソルフェージュ能力は言うに及ばず、非常に高度な技術と音楽性を要求されます。歌手の伴奏をしながら、自分でもオペラの全てのパートを歌えないといけません。 しかも演目に使われている言語、作品の文学的な側面、時代背景などへの理解がないと、とても歌手のコーチは務まりません。大野和士さんも「フィガロを知らないで、どうやってモーツァルトのシンフォニーを演奏できるのか」とおっしゃっています。 私に言わせれば、「フィガロを知らないで、モーツァルトのソナタは演奏できない」のです。 ところが日本では、「ソリストとして独り立ちできないレベルのピアニストがコレぺティトゥアになる」という誤った先入観をお持ちの方もいるようです。それどころか、ピアノを弾く側でも、「ソリストになれるほど上手くないから、コレぺティトゥアにでもなろうか」という安易な考えの人も、稀ながらいて、びっくりしてしまいます。 私は、コレぺティトゥアとして経験を積んできたからこそ、コンサートピアニストとしての自分を磨いてくることが出来たのだと思っています。 |
(2003.4.10 up) |
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