9, 下弦の月 |
ボーフォール公の馬車は椅子が高すぎて摩利の足は床に届かない。
だが、今日はつま先がしっかり床に触れている。
ここのところ毎日のように誰かしらに背が伸びたと言われるが、自分としてはピンとこない。
それだけに、こうしてわが身で確認できるととてもうれしい。 |
セーヌ川の対岸、すぐそこにエッフェル塔が見えた。
馬車は川から反(そ)れてシャイヨー宮の裏手を進む。
パリの西の外れブローニュの森とセーヌ川に挟まれたこの一帯は品のよい住宅街だ。 |
ボーフォール公の言葉にたがわずオフィスの階上は、住み込みの使用人まで置いた立派な貴族の館だった。 |
アグネスと摩利がふたりきりで再訪したペルチャッハは、9月に入ってめっきり冷え込むようになり、朝晩は暖房なしでは過ごせなくなった。 |
ボーフォール公はその時のことをアグネスから聞いたのだろう。
あるいは、「実は私、摩利と夜を伴にしましたの」と、アグネスが親愛の情を込めて公をからかい、公は少なからずジェラシーを掻きたてられたのかもしれない。 |
「公は、どうして奥様と結婚したの?」 |
S男爵の私生児騒動があっても、P公爵のとりなしと先代S男爵の謝罪、さらには双方の一族の都合などなどから、メーリンク子爵はアグネスの縁談を破談にしなかった。 |
暖炉の薪がぱちぱちっとはぜた。小さな火の粉が飛んで宙で消える。
暖炉脇の窓に視線を移すと、エッフェル塔の向こうに下弦の月が昇ってきた。 (2001.5.4 up)
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