10, 各国の冬 |
ソファにかけたまま摩利は挑むような目でボーフォール公を見上げた。 |
一人になると、ボーフォール公は窓際の肘掛け椅子で再びグラスを手にした。
下弦の月を映すグラスの中で琥珀色のコニャックをゆっくり回す。
2回、3回、アルコールが膜のような跡を引いて、グラスの中をさまよう。
そのうち、掌(たなごころ)の熱が芳醇な香を立ち上げた。 |
短いパリの秋はそのまま冬の入口になっている。 |
9月から毎月続いた思音のロンドン出張も、3回目の11月には一段落着いた。
年が明ければまた出かけなければならないが、どうやらクリスマスと新年は摩利とゆっくり過ごせそうだ。 |
結局、10月から思音が留守にする時には、摩利はアグネスの館に泊り込むことになった。
メーリンク子爵夫人がアグネスに、“あてにならない父親”に代わってマレーネの一人息子の面倒をしっかり見るようにと申し渡したからだ。 |
妹が住むロンドンを訪れるとは言え、思音は出張先では常に仕事に追われているし、大使夫人である妹も公的な勤めがあって、電話で声を聞く時間さえとれないこともある。
しかし、11月には彼女がせめてお茶でもと、思音の滞在先のホテルに現われた。
今月末に14回目の誕生日を迎える摩利へのお祝いにとターナーの風景画を届けるためだった。 |
12月になるといよいよ日照時間は短くなるが、シャンゼリゼをはじめパリの大通りはクリスマスの飾りつけが華やかさを競う。
しかも、先週はウルリーケの婚約が伝えられた。 |
ウルリーケの婚約者はオットー・フォン・カウアー、カウアー男爵の嗣子だ。
姉の結婚同様、祖父の鶴の一声に両親は二つ返事で承諾するしかない。 |
私にはルディがいるわ! ルディの家は王族とも言える由緒正しい家柄で、インド国内で3本の指に入る大富豪だとスペンサー伯爵は言っていた。
数年前には英国政府からも男爵の爵位を贈られた一族だから、これからも間違えなく繁栄すると。
それに、ルディ自身だってインド政府高官への道が約束されている。 |
自分の婚約に全く納得していないウルリーケだが、両親に文句を言っても埒(らち)があかないことも熟知している。
かえって話がこじれて、説得されるに決まっている。 |
ウルリーケが人知れず異国への駆け落ちも辞さない覚悟を決めた12月初旬、常夏の国インドは政情激変の時だった。 |
と、世情にはインド国民会議分裂と伝えられているが、実態は親英国派や穏健派による反英国過激派の締め出しだった。 (2001.5.12 up)
|