8, パリの紅葉 |
思音の自宅の居間で英国からの報告書の読みあわせを終えたボーフォール公が、ワイングラスを傾けながら言った。 |
「いくら情報が得られても、公の事業実績とボーフォール家の家名の重みがなければ、ここまですんなりと話がまとまるはずがありません。
だから、お互い様ですよ」 |
「アグネスもいかがですか? 来年から英国に輸出する予定のものです」 |
その夜、思音の寝台にもぐりこんだ摩利は、どんなに眠くてもこれだけはと意気込んで思音に話し始めた。 |
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新吾手製の竹刀を正眼に構えると、今まで使っていた竹刀より確かに長い。
絞るように握りこむ柄(つか)は、真新しい皮の匂いがする。
素手で握った時の皮の感触が好きなせいか、摩利はボーフォール公にどれだけ勧められてもフェンシングに転向する気にはならない。 |
思音が留守にしていても、長年仕えている執事と家政婦がすべてを心得てメイドたちに指示を出すので、摩利の日常生活に不自由はない。
そもそも日本にいた時から父はほとんど不在で、使用人に世話をされて暮らしているのだから、数日の出張など苦にもならない。
いつもと変わりなく夕食を済ませ、新吾に手紙を書く。 |
「これは、メーリンク子爵夫人、こんなところでお目にかかれるとは…。
今日、P侯爵の茶話会にはメーリンク子爵もお出でになっていて、奥方様は神経痛で静養していると伺いましたが…。
もう、出歩いてよろしいのですかな」 |
「鷹塔伯爵は、私など比べものにならないほど英国では顔が利きます。
子爵夫人もご存知のとおり、伯爵の妹君は駐英大使夫人ですからね」 |
祖母と従姉に見送られて、ほとんど空のスーツケースを持った摩利はボーフォール公の馬車に乗り込んだ。
公が「近いほうでいい」と御者に声をかけると、枯葉をがさがさ踏みながら馬車が動き始めた。 (2001.4.22 up)
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