6, 思惑交錯 |
ぱちっと懐中時計の蓋をしめて思音が尋ねた。 |
こうこうと冴えわたる月の明るさに星がかすんでいる。
摩利がヴァイオリンのケースを抱えて馬車に乗り込こもうと足元を見ると、月に照らされくっきりと短い影が出来ていた。
コバルト色の水鏡となったヴェルター湖は岸の木立の陰が隈取をしている。
馬が自分たちの影を蹴って馬車を牽く。
沿道に立つ家々のレンガの赤い煙突や濃緑色の針葉樹が薄闇にぼんやりと浮かび上がっては、後ろに流れる。 |
同じ頃、ベルリンではウルリーケが不機嫌のあまり眠れぬ夜を過ごしていた。 |
滞在3日目になって、2人の元大臣は庭の東屋に場所を移してチェスを楽しむようになった。
ウルリーケには知るよしもなかったが、3日間の密談の結果をまとめてドイツ政府の高官に回して、その返答を待っているところだった。
その返答を持ってスペンサー伯爵は英国に戻ることになっている。 |
「なにしろ、あれには“インド文官勤務”試験に合格してもらわないとなりませんからね。
縁者にインド政府の高官がいるのといないのとでは、大変な違いがあるんですよ」 |
「国民会議? 分裂?」 |
摩利が部屋に案内された時、アグネスは電話中だった。
彼女は受話器を耳に当てたまま摩利にソファに座るように目で促して、かまわず話を続ける。 |
「お隣でそれだけの騒ぎがあったのなら、一刻も早くポワティエを離れてパリに避難して…。
もちろん全員でです。焼き討ちの火が見えているのに、そんな悠長なことを言って。
列車が不通? 馬車で裏道を抜けて、パリまで。
ええ、時間はかかってもそれだけ混乱していたら、馬車を出す方が安全だと思いますけれど」 (2001.4.5 up)
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