「わたしの小鳥さん」
なんて挨拶をすればいいのかしらと戸惑っていたウルリーケを、オットーがいきなり抱擁した。
仕事柄、日々鍛錬を欠かさないのだろう、腕も胸もしっかりと筋肉がついている。
大きく抱きかかえられて唖然としているウルリーケの顔を、不安そうにオットーが覗き込んだ。
「すまない、ウルリーケ。私が悪かった」
真顔(まがお)で真剣な謝罪だ。
ウルリーケが困惑してちらとアグネスを見ると、彼女も狐につままれた面持ちでこちらを見ている。
「仕事のためとはいえ迎えに来るのがこんなに遅くなってしまった」
「迎えって、あ、あの…」
「言い訳になるが、私はあなたが病気だったことも知らなかった。だから、これでも…」
「病気より、家出、いえ、その…」
「通信が、どうしても…」
しどろもどろ、ふたりの会話が噛み合わない。
アグネスも事情は飲み込めないが、とにかくも助け舟を出す。
「オットー、お掛けになりませんか? そのほうが積もるお話をゆっくり伺えますわ。
さ、ウルリーケもお座りなさい」
ウルリーケはオットーの腕を抜け出して姉の横に座った。
「軍人というのは因果な仕事だ。時として自分の所在を連絡できない」
オットーは、接吻ひとつさせずに身を引いたウルリーケを目の前にして口ごもりがちだ。
「今年になってから、私はずっと西南アフリカにいた」
メーリンクの孫娘たちが、日焼けして赤っぽく見えるオットーの顔をまじまじと見た。
「西南アフリカ! 以前、反乱がおこったところですか? 」
「何年前になるのかしら…。大規模な反乱だったと…」
彼は大きくうなずいた。
「3年か、いや、もう4年前になる。1904年だった。
あの時は現地駐留部隊ではラチがあかなくて、本国から援軍が派遣された」
ドイツ領西南アフリカの被征服部族ホッテントット族とヘレロ族による武装蜂起だった。
結局はドイツからの援軍によって鎮圧されたが、火種までが消えたわけではない。
「知ってのとおり、今でも西南アフリカは軍隊が駐留して治安を維持している。
今回、私は数ヶ月の勤務だったが、アフリカでは通信事情が悪い。
つまり、その、ドイツ国内と同じに考えられない。いや、欧州とは全然違う」
向かい合って座る娘たちの顔にかわるがわる心配そうな目を向ける。
「通信部門の手違いも重なった。間が悪かったのだ。…いや、これはいい訳だ。
私は4月にベルリンの宿舎に戻って、父からの手紙を読んだ。父が2月に出したものだ。
それで、やっとあなたが病気だったと知った。
そして、すぐにあなたに手紙を書いた」
細やかに言葉を選べない無骨な武人が、自分の腕をすり抜けてしまった少女に情愛を伝えようと、傍目には微笑ましいほど精一杯の努力をしている。
「ええ、頂きました。できるだけ早くパリに向かうと…」
ウルリーケの返答に、いっそう顔を曇らせた。
「ところが、それから休暇を取るのにまた手間取った。
家族の病気なら少しは融通もつく。だが、婚約者では無理を通しにくい。
いや、できるだけの無理はした。自宅にも戻らず、見てのとおり着の身着のままで駆けつけて…」
アグネスが尋ねた。
「では、アフリカからお帰りになって、まだ、カウアー男爵にはお会いになっていらっしゃらないのですか? ご相談とか…?」
「父は今、健康でなにも変わりない。それより、命も危ぶまれた許婚(いいなずけ)に会う方が先だ」
アグネスとウルリーケはなんとなく見当がついてきた。
「旅先で具合が悪くなったウルリーケは、何が気に入らないのかベルリンに戻らない」、どうやらオットーにはこんなふうに話が伝わっているらしい。
―― 知らなかったとはいえ2か月もほったらかしにしてしまった。
私はなんと不誠実な婚約者だろう。
ウルリーケが愛想をつかすのも当然だ。
戦場ではどれほど近くで砲弾が炸裂しても、銃弾が頬をかすめても眉ひとつ動かさず平然と任務を遂行する豪胆で有能な青年将校が、今、心中の不安と戦いながら婚約者の心を取り戻そうと必死だ。
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