ベルリンに帰るまでには仕上げればおかあさまへのお土産になるわ。
膝に置いた刺しかけの刺繍を見ながらウルリーケは考えた。
次は何色にしようかしら…、そうね、空色?
目星をつけた色糸を手にとってみるとなんだか暖色が恋しくなった。
やっぱり茜(あかね)色がいいわ。
療養生活に近いウルリーケののどかさとは対照的に、使用人たちは館の引き払い仕度が始まってせわしく立ち働いる。
この3年間フレッシュの名演奏にわいた小ホールは、ベルリンに運ぶ荷物が積み上げられてすっかり倉庫にさまがわりしている。
すでに今朝アグネスの指示でいくつかの荷物がドイツに向けて発送された。
ウルリーケが光沢のある絹糸を針穴に通したところにアグネスが現われた。
「あら、お帰りなさい。摩利のレッスンはどうだった? 」
「ええ、いつもどおりだったわ」
気のない返事だった。
「そう…」
ウルリーケは自分の手仕事にかかろうと聞き流した。
「来週、オットーが来るでしょう? 」
「ええ」
「その前に、あなたが家出した本当の理由を説明してもらおうと思っていたのだけれど…」
顔を上げると姉の真剣な眼差しに出くわした。
「そっとしておくようにってお医者様に言われていたから、今までは聞かずにいたわ。
そうよ、おかあさまがどんな思いで黙ってあなたに付き添っていらしたのか、少しは考えてちょうだい」
これは長い話になりそうだわと、ウルリーケは刺繍針を針刺しに戻した。
「今日、思音がスペンサー伯爵のことを話してくれたわ。カーゾン卿暗殺未遂事件の話も」
ウルリーケの顔色が変わる。アグネスが見逃さず問いただした。
「いつまでもベルリンに帰らないのはなぜ?
婚約破棄がはっきりしたらインドの彼に会いに行くつもりなの?
それとも何かほかに理由があるの? 」
破廉恥なる批判役よ、立ち去れ:『涜聖』(青土社アポリネール全集2)より
(2002.2.11 up)
|