館についての相談が済むと、公はアグネスにS男爵が30そこそこの年齢で隠居の身となり、ワイナリーの経営はP侯爵家の手に移ることになったと知らせた。
「いや、あなたへの不義理のせいばかりではありませんよ」
お茶の時間の世間話を流すように、公は彼女の夫だった男の消息を語った。
「ワインの国内市場の動向も読めない経営手腕のなさがもともとの原因です」
ボーフォール公がくつろいで深く掛け直すと、革張りの椅子がかすかにぎしっと鳴った。
「わが国における中級ワインの過剰供給は昨日今日の問題ではないが、P家の助言にも耳を貸さず手をこまねいたまま、かの御仁の無為無策に老侯爵があきれていたのは、アグネス、あなたも良くご存知でしょう? 」
彼女に責任はないと言葉を足す公にちらりと視線をやって、アグネスはちょっと困ったような顔で軽くうなずいた。
―― 私がパリに住んでそろそろ4年。
でも、男爵には夫としての情が移る暇もなかったわ。
いっそ、嫉妬でもできればまだ救いもあったかもしれないけれど。いいえ、こんな風に考えられるのも全てが終わってしまったことだからだわ。
人前でため息もつけず、さりげなく話の焦点をずらして答えた。
「P侯爵には、私がこちらに来る前からお世話になりっぱなしだったけれど、後始末もお願いすることになりましたわ」
「あなたが気にすることはありません。P侯爵は当然のことだと思っていますよ。老侯爵のお父上とS男爵のお祖父さんは“盟友”だったからと…。
おや、この話、P侯爵から聞かされて、いや、聞かせてもらっていませんか?」
ボーフォール公のくすっと笑った。アグネスも緊張が解ける。
「1848年の2月に、P侯爵のお父上とS男爵のお祖父さんは所用でパリに行きましてね、今からちょうど60年前のことになりますな。
オルレアン家のルイ・フィリップがフランス国王だった時代ですが、この年のパリはとりわけ寒さが厳しかったそうです…」
当時、農作物の不作から始まった数年来の不況で、民衆ばかりでなくブルジョア層にも困窮が広まり、破産や失業が世に溢れパリの貧民街はフランス中の困窮者の吹きだまりになっていた。
食料や賃金の支払いを求めて暴動やストライキが全国に広がる中、政治家の汚職事件や、名門公爵が貴族院議員の息女である妻を虐殺して自分も獄中で砒素をあおって自殺したなどショッキングな貴族のスキャンダルが続いた。
政治や上流階級への信用そのものが失われていった。
マドレーヌ広場に民衆が集結したのが2月22日だった。
23日、齢(よわい)70を越えた国王は内閣改造で事態収拾を図るが、新たな組閣は難航する。
その夜半、正規軍がデモ隊に発砲した。それが民衆蜂起の合図となった。
よもやの、ほとんどの人が予期していなかった革命勃発となった。24日正午過ぎ、ルイ・フィリップは退位した。
「パリ市庁舎が蜂起した民衆に包囲され、いたる所にバリケードが築かれた市内を、ルイ・フィリップ国王の英国亡命を助けるために、P公爵のお父上とS男爵のお祖父さんは馳せ参じたのだそうですよ。
国王の脱出用の粗末な馬車が2輪馬車だったり4輪だったり、その時によって老侯爵の話の細部は違うが、流れ弾で負傷したお父上をS男爵のお祖父さんが応急の止血をしていたら、王后がふたりに感謝の言葉を掛けてくれたというくだりは変わりません。
お父上に繰り返し聞かされたP侯爵は、今ではご自分がその場にいたような語り口です。
あなたもパリを離れる前にぜひ一度、聞かせてもらうといい。ただし、時間が充分にある時に限りますがね」
ボーフォール公は片目をつぶって歴史物語を終えると、笑顔で付け足した。
「ともあれ、そんな事情から老侯爵はついS家の面倒はみてしまう」
ご自分を隠居爺(いんきょじじい)とお呼びになる気さくさの中に大貴族の硬骨を潜ませる老侯爵にお似合いのエピソードだわと、アグネスも微笑んだ。
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