12, 砂の撒かれた道 |
雪は二晩続いた。パリ中がすっぽり白銀の世界になった。郊外はパリ市内より雪が深い。
アグネスの館をとりまく常緑の防風林の枝が雪を乗せて重たげにたわみ、ときおりざらついた雪崩のような音を立てては寒風にさらされて凍った雪をふり落とす。 |
アグネスの机は、曾祖母の嫁入り道具だった手の込んだロココ細工の逸品だ。 華やかな見た目ながら、職人が丹精こめたつくりは堅牢で、しかも大層使い勝手が良い。 娘の頃からのお気に入りだったこの机を、パリに移る時に母から譲り受けてわざわざ運ばせた。 |
羽ペンを手に、先週末にこの館のホールで、アグネスの友人知人だけのために名演奏を披露してくれたカール・フレッシュに礼状をしたため、自分の勉強の進み具合を報告する。
フレッシュは演奏家としての活動ばかりでなく、教育者としても実績を高く評価されていて、ヴァイオリン教則本の執筆の準備も進めている。
アグネスも、パリに移ってからは通信教育さながらに、フレッシュにレポートを送っては指導を受けてきた。 |
封筒の表書きをオランダ・アムステルダム音楽院の住所にして封緘すると、扉を叩く音がした。 |
彼女と一緒に暮らすようになって、摩利が気付いたことがもう一つある。
アグネスの私室は女性らしい華やかな家具調度が並ぶ。
しかし、キャビネットや机の中身は、父・鷹塔伯爵の執務室と同じような書類や資料が少なくないことだ。 |
「手紙を書いているの?」 |
昨年10月、留守中の思音にかわって、アグネスが後見役となって摩利と一緒に出席した舞踏会があった。 |
「資産家と言ったって、一代の成り上がり商人だろうが。
わしは、自分の娘を成り上がり商人の息子と踊らせる奴の気が知れん」 |
舞踏会の夜、植え込みの陰で話に付き合わされた不運な相客は、仕方なく当り障りないように言葉を挟さんでいた。 |
一部始終を聞いた摩利はジュースを飲み終えると、にっこり微笑んでアグネスのほうを振り向く。 |
そういえば、ボーフォール公に教えられたな。 |
貧乏ゆすり―― 。
アグネスの館に向かう馬車の中で、S男爵の右膝が小刻みに上下している。 |
全く、ついていない。私の人生は不運の連続だ。 父や祖父だって、同じようなことをしていたじゃないか。 どうして、私だけがやることなすこと、四面楚歌で責められなければならないんだ? |
馬車が、広い通りを折れて館に通じる小道に入った。
館まで、見渡す限り路上の雪はきれいに片付けられ、滑り止めの砂まで撒かれていた。
正午を回った時間帯とはいえ、厚い雲の下で人通りの少ない道は、どこも、まだ雪深い。
吹き溜まりに出くわした時のために敷き藁を用意した御者は、内心で感嘆の声をあげた。 |
座席の背にもたれて腕組みをしたまま目を閉じているS男爵は、砂の撒かれた道に気づかない。
そして、館が近づくに連れて苛立ちは募る一方だった。 |
右膝を揺らしながら、自己弁護の堂どうめぐりを繰り返すと、いとも簡単に自分は被害者だと話のすり替えが成り立った。 (2001.6.14 up)
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