3.シュレーカーの作品 |
★ シュレーカーの作風 ★ 主な歌劇作品 ★ 歌劇「烙印を押された人々」あらすじ ★ 歌劇「宝探し」あらすじ |
シュレーカーの作風 |
【時代の寵児から政治の犠牲となった死】
シュレーカーは歌劇の分野でのみ活躍した作曲家であった。 これは20世紀の作曲家としてはほとんど唯一の例である。 「はるかなる響き」で最初の成功を収めて以来、「宝探し」「烙印を押された人々」 などのヒット作の数々を生み出し、時代の寵児となった。 とくに「烙印を押された人々」は、そのスキャンダラスな内容も人気を呼んで、延べ1000回以上も上演された。 しかしワイマール共和国の変質とほぼ時を同じくして、彼の歌劇は急速に上演回数を減らしていく。 「共和国のためのオペラ」と評する人もいる。 そしてナチの登場により、ユダヤ人であったシュレーカーの作品は「退廃音楽」という「烙印を押され」て上演は困難となり、ヒトラーが政権を握ると公職からも追放され、その重圧と精神的ショックから病を得、亡くなってしまう。 彼の生涯は政治の犠牲となった典型と言うことができる。 |
【甘美で豊潤な音楽】
「プッチーニとR・シュトラウスとを合わせたような音楽」と言う人がいる。 これは、甘美な旋律、豊かな管弦楽法を駆使しているため。 大野=東京フィルでも、その魅力を最大限に味わうことができるに違いない。 一方ではワグナー流のライト・モチーフを用いて、ドラマの骨格を形成。 他方、ドビュッシー風の繊細な表現も随所に見られ、とりわけ「はるかな響き」では「ペレアスとメリザンド」にも比肩されるような、言葉と音楽との美しい融合も聴くことができる。 ただ、どの作品を聴いても、似たような、耳に快い響きが続くために、何回も聴くと辟易することも確か。 これが1920年代半ばに捨てられ、1990年代にも再び飽きられた原因ではないだろうか。 似ているようでいて、シュトラウスの作品は「核の無い音楽」と評されても永く人々に愛されている。 |
シュレーカーの作品が、「美しいが飽きられる」という見解は、いくつかの文献に出てくる。 しかし、大野和士指揮の「はるかなる響き」日本初演を聴いてからは、監修者は意見を異にするようになった。 第一に、シュレーカー財団のヘイリー所長が言うように、 「シュレーカーの作品は、永く演奏方法が途絶えてしまったために、作品本来の姿が再現されるには、まだ相当の年月を要する」からである。 第二に、ヘイリー所長も大野和士も、「『オペラコンチェルタンテ』形式での公演では、シュレーカーの目指した響きの空間を完全に再現するには、不利であった」と認めている。 第三に、シュレーカーの晩年の作品は、全く趣を異にしている。 演奏されないのは、けっして作品としての価値が劣っているからではない。 社会的な要因で今後、シュレーカーの作品の真価を発揮するような公演が実現し、さらに、シュレーカーが、いかに新しい「響き」を求めて挑戦し続けたかが知られるようになれば、シュレーカーの音楽史上の位置付けも、大きく変わるかもしれない。 (2000.3記)
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【大衆の娯楽としてのドラマ】
まずよく挙げられるのが性的な描写。 とりわけ「烙印を押された人々」は、「タンホイザー」のヴェヌスベルクのような天国島の地下洞における快楽を描き、当時は上演を見に行くだけで犯罪的と言われた。 (この点シュトラウスの「ばらの騎士」に通じる) シュレーカーとしては第一次大戦後の貴族社会の崩壊、大衆社会への流れの中で、倫理規範が崩れ、社会の枠組みが崩れていく様を描きたかった。 同時に、映画(大衆社会の娯楽)の先駆けとして、多くの人が娯楽として求めた性的表現を打ち出した側面もあった。 「甘美で豊潤な音楽」も映画音楽そのもの。 ちなみに、同じような傾向の歌劇を書いたコルンゴルト(「死者の街」など)は、アメリカに亡命した後は、ハリウッドの映画音楽の巨匠として活躍した。 |
【さすらう芸術家】
もうひとつ、より重要な特徴として、必ず芸術家あるいは芸術に造詣の深い人物が中心となっていることが挙げられる。 「はるかなる響き」の作曲家フリッツに代表されるように、芸術家は芸術上の理想(ここでは「はるかなる響き」)を追い求め、愛する人をも省みない。 「宝探し」では、リュートの力によって隠された財宝を探し出し、人の心に潜む愛を呼び覚ます吟遊詩人エリスが描かれる。 「烙印を押された人々」では、生まれつき醜い容貌を持った貴族アルヴィアーノが、理想郷を建設し美と愛を具現化し、さらにそれを人々にも分け与えようと試みる。 しかしいずれの場合も、芸術家の無力のために、あるいは周囲の無理解のために芸術家の心は踏みにじられ悲劇に終わる、という結末が共通している。 フリッツがグレーテと真の愛に目覚めるのは死の場面であった。 エリスは、恋人エルスの愚かな行為のために仲を引き裂かれ芸術の力も失われる。 アルヴィアーノの理想郷は悪用されスキャンダルの中で彼は社会的にも精神的にも破滅する。 シュトラウスのオペラの楽天的な結末とはいかに対照的なことか。 ユダヤ人であった作曲家自身の、当時の社会の中での孤独感を反映しているのかもしれない。 |
【自叙伝】
このように、シュレーカーの歌劇に登場する芸術家は、彼自身を表現している。 「はるかなる響き」においては、フリッツの遺作「たて琴」の第3幕が失敗に終わり、作者はブーイングの嵐に沈む。 「はるかなる響き」作曲当時のシュレーカーは、まだ売れない作曲家であった。 第1幕と第2幕を書いた後で、グレーテが襲われる場面やヴェニスの快楽の館など、内容があまりに過激ではないか、と自信が持てなくなり、長い間作曲を中断してしまう。 シュトラウスが「サロメ」で成功したのを見て、ようやく完成したのであった。 さらに父親の影響も見られる。 シュレーカーの父親は、短期間ウィーンのハプスブルク家の「宮廷写真師」であったが、その地位に安住せず各地を転々とした。 父親が死んだときには、家族に何の財産も残されていなかった。 「はるかなる響き」の芸術家フリッツに通じるものが感じられる。 シュレーカーは、ほとんど全ての歌劇の台本を自ら書いた。 彼は「くだらぬ台本しか得られなかった」と言っているが、自分自身をドラマで表現するには、自分で書くしかなかったのである。 |
主な歌劇作品 |
歌劇「炎」 |
作曲:1902年完成 台本:ドーラ・レーン 初演:1902年4月 ウィーン楽友協会
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歌劇「はるかなる響き」 |
作曲:1901−12年 台本:作曲者自身 初演:1912年8月18日 フランクフルト 指揮はロッテンベルク(当時のカペルマイスターのブルーノ・ ワルターではなかった)
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歌劇「からくり鐘と王女」 |
作曲:1913年 台本:作曲者自身による 初演:1913年3月15日 ウィーン宮廷歌劇場
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歌劇「烙印を押された人々」 |
作曲:1913−15年 台本:作曲者自身 初演:1918年4月25日 フランクフルト
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歌劇「宝探し」 |
作曲:1920年完成 台本:作曲者自身 初演:1920年1月21日 フランクフルト
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歌劇「揺らぐ炎」 |
作曲:1919−23年 台本:作曲者自身 初演:1924年3月27日 ケルン
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歌劇「クリストフォーラス」 |
作曲:1924−27 台本:作曲者自身 初演:1978年 フライブルク
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歌劇「歌う悪魔」 |
作曲:1924−28年 台本:作曲者自身 初演:1928年12月10日 ベルリン国立歌劇場 (指揮エーリッヒ・クライバー)
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歌劇「ゲントの鍛冶屋」 |
作曲:1929年 台本:作曲者自身による 初演:1932年10月29日 ベルリン
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歌劇「烙印を押された人々」 あらすじ |
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歌劇「宝探し」 あらすじ |
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*前出参考文献から編集(文責:堀江信夫)
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《註記―ワルキューレのパロディであることについて》 |
ワグナーの「ワルキューレ」では、前史として、囚われのジークリンデが無理やりフンディンクと結婚させられたことが語られる。 ジークリンデにとっては、周囲全てが見知らぬ敵であったが、婚礼の席に現れたさすらい人(実はウォータン)の眼差しが、甘い憧れに満ちた悲しみと慰めをともたらした。 また「ワルキューレ」の冒頭では、ジークリンデがジークムントに蜜酒を飲ませる。 結婚といえば略奪婚がふつうだった古代から中世のゲルマン系民族においては、娘を奪われた家族は形式的にせよ2人を追う。 2人は追及の手を逃れて隠れて暮らす間、滋養たっぷりの蜜酒を飲む習慣がある (蜜月の語源とも言われている―文春新書「民族の世界地図」21世紀研究会編より)。 つまり蜜酒が、2人が駆け落ちする寓意として使われている。 さらにジークリンデは、去ろうとするジークムントを引き止めることによって、ジークムントを危機にさらす。 |