◆◆ モネ劇場の自由な気風と斬新なプログラム ◆◆ |
フランス語圏とドイツ語圏との架け橋としてのモネ劇場 |
ブリュッセルという地の利が、ドイツ、イギリスなどのゲルマン文化圏、フランス、イタリアなどのラテン文化圏のそれぞれの魅力を偏見なく取り入れ、政治的な状況に左右されることなく、観客に音楽を通じたメッセージを伝えるという劇場の姿勢に幸いしたと言えます。 19世紀末の緊張した独仏関係の中、ドイツ人作曲家のオペラは、フランス国内では好まれませんでしたが、ブリュッセルでは、オペラ愛好家の大喝采を受けていました。 この劇場の、芸術を優先する自由な気風は、今も受け継がれ、ゲルマン、ラテンを架ける橋として、今でも独特な地位を築いています。 発足当時は、パリの流行をいち早く取り入れ、ラモー、グレートリ、オーベールなどのフランスものが演目に多かったモネ劇場ですが、すぐに、グルック、モーツァルト、ベートーヴェン、ドニゼッティ、ロッシーニなど、国境を越えて、ドイツ、イタリア歌劇が紹介されるようになりました。 1870年代から、モネ劇場は、ドイツの歌劇を積極的に上演し、フランスでは上演を禁じられていたワーグナーの初演を他に先駆けて行いました。 1914年には、パルジファルのフランス語圏初演が行われています。 この第一次大戦前夜の時期にドイツ人の指揮者オットー・ローゼ、ワーグナー歌手として誉れの高いハインリッヒ・ヘンゼル(テノール)を招いて公演を成功させたというエピソードを通して、モネ劇場がいかに社会情勢に左右されることなく、音楽を通じた観客とのふれあいを大切にしてきたかを窺い知ることができます。 |
ブリュッセルの市庁舎(グランプラスから) | 夜のモネ劇場 |
オスカー・ワイルド台本のシュトラウス作曲「サロメ」も、大スキャンダルだった初演からわずか2年後に、ここの舞台にかけらています。
モネ劇場が行った世界初演の中には、マスネ「エロディアーデ」(1881年)、ダンディ「フェルヴァール」(1897年)、「異邦人」(1903年)、ショーソン「アーサー王」(1903年)などがあります。 1920年代に入ると、ダリウス・ミヨーの「オルフェウスの悲劇」やオネゲルの「アンチゴネー」の世界初演のほか、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」、チャイコフスキーの「スペードの女王」。プロコフィエフの「遊び」といった、当時、西欧音楽界に紹介され、衝撃を与えたばかりのロシア人作曲家をいち早く取り上げました。 1900年から1924年にかけて、おなじみの演目に加え、こうした初演が84本も紹介されたことは特筆に値します。 |
ジャンルを越えた文化のコラボレーションと世界の才能の発掘 |
モネ劇場は、作曲家、演出家、舞台衣裳家、ダンスの振付師など、若い才能をいち早く見出し、世界に紹介したり、また他分野で成功した人をオペラに起用するなど、新しい才能を発掘し紹介する劇場として、ヨーロッパでは定評があります。
ハンス・ホッター、リタ・ゴール、ヴィクトリア・ロス・アンヘレス、マリオ・デル・モナコ、エリザベート・シュワルツコップフといった偉大な歌手や、ウォルフガング・サヴァリッシュといった偉大な指揮者も、早い時期にモネ劇場の音楽を豊かに彩ってくれた演奏家のリストに入ります。 また、伝説のマリア・カラスも、この劇場で歴史に残る名演を残してくれています。 |
1959年に若いフランス人モーリス・ベジャールが、ストラヴィンスキーの「春の祭典」で見せた公演は、ダンス界の新しい幕開けとして世界中の話題をさらいました。
その後、20数年にわたって、ベジャールはモネ劇場の中にダンスカンパニー「20世紀バレエ団」を持ち、世界中のダンスシーンに衝撃を与え続けました。 オペラ演出の分野では、かつて彫刻家カミーユ・クローデルの弟で、有名な作家ポール・クローデルが1935年にミヨーのオペラを演出して、演出家としてのデビューを飾りました。 その後、モネ劇場の歴史には、フランコ・ゼッフィレッリ、ジャン・ピエール・ポネル、ヴィーラント・ワーグナーなどの名演出家たちが、様々な試みを行い、評判となりました。 ダンス振り付けの天才たちにオペラ演出を依頼するというのも、注目を浴びている試みの一つです。 ニューヨークのモダンダンス界の大御所トリシャ・ブラウンが初めて手がけたバロック・オペラ、モンテヴェルディの「オルフェオ」は、オペラ界に新風を吹き込んだとして、1999年にローレンス・オリヴィエ賞が、公演、演出家、指揮者(ルネ・ヤーコプス)に贈られました。 |
モネ劇場内にダンスカンパニー「ローザス」を持ち、日本でも1989年に「ベスト・コレオグラファー賞」を受賞した振付師アンヌ・テレサ・ケースマイケルは、2003年に大野和士指揮のヴェルディ「2人のフォスカリ」においてオペラ演出デビューを飾り、さらに2004年には南仏エク・サン・プロヴァンス音楽祭において、細川俊夫作曲、三島由紀夫原作のオペラ「斑女」の演出も任されました。
「天才現る」と数年前に評されたオペラ演出界の新星デヴィッド・マクヴィカールも、早いうちにモネ劇場にその才能を見出されたひとりです。 マクヴィカールは、2003年12月に大野和士指揮による「ドン・ジョヴァンニ」を演出し、このシーズンの目玉の公演のひとつとなりました。 同じ2003−2004シーズンには、現代美術の鬼才ヤン・ファーブル(ファーブル昆虫記で有名なアンリ・ファーブルの曾孫)演出、大野和士指揮による「タンホイザー」も見どころでした。 |
舞台衣裳の分野でも、異色の人材をオペラの世界に誘い、観客が眼からもオペラを存分に楽しめるよう、ファッショナブルなアプローチをしてきました。
20世紀初頭にすでに、象徴派の画家、フェルディナント・クノップフにドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」の衣裳デザインを任せています。 1970年10月には、国際的なファッション・デザイナー、高田賢三が「トリスタンとイゾルデ」の衣裳をデザインしているほか、最近では、「アントワープ六人衆」のひとりとして、日本でも人気を博している若いベルギー人デザイナー、ドリス・ヴァン・ノッテンを起用したり、25歳の若さでジヴァンシーの主任デザイナーとなったオリヴィエ・ティスケンスを大野和士指揮「二人のフォスカリ」で起用した。 ファッション界の大御所、クリスチャン・ラクロワなども、2003年、2004年とモネ劇場のラインナップをファッショナブルに飾る話題の一つとなっています。 |
(2004 09 16 up)
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