通奏低音
(5)定 期 便
6月の新吾からの定期便が直接、伯林に届いた。ささめに託した手紙で、新吾には事前に
巴里の引きはらいを知らせておいたからだ。
伯林は8月のオリンピック夏季大会を控えて準備が最終段階を迎えている。
すでに今年の2月にはオリンピック冬季大会がガルミッシュ・パルテンキルヘンで開催されている。
その冬季大会会場周辺には、オリンピックを政治的宣伝に利用しようとする独裁的為政者が
ユダヤ人排斥の宣伝物を多数設置していた。それらを国際オリンピック連盟会長のアンリ・ド・
バイエ・ラツール伯爵自らが、独裁的為政者と強硬な直談判を繰り広げたすえ撤去させた
いきさつがある。平和の祭典であるはずのオリンピックが、少なからずの物議をかもしているのも
時勢というべきか。
「元気か、摩利。住みなれた巴里を離れておじさまもお疲れなのではないか?」
持堂院時代の新吾の声が聞こえそうな手紙を読むと、摩利も持堂院の頃の自分に帰るような
気がする。
新吾は数年前から帝大で教鞭を執るようになって研究室を持つようになっていた。
助手として実験の手助けをしてくれる学生たちにも恵まれて、印南医院での診察と帝大での研究の両方で忙しいながらも充実した毎日を過ごしている。
自分の研究室ができた時には、日本にいながらにしてジュネーブ大学の研究員時代にやっていた研究を再開できると、大喜びの報告を摩利にしたものだ。
「研究報告書を定期的にジュネーブ大学に送り続けていたのだが、運良くそれが認められて今年になって博士号を授与された。
摩利のおかげで夢殿先輩への借金も早々に返せたし、今一度、西洋医学に直に触れておきたいと思っていた矢先でもあるので、今年の秋には欧州に出向くことにした。
短期間とは言え在籍していた関係上、伯林大学にも論文を出してあるから伯林にも立ち寄ることを予定している。」
仕事柄、そして、父・隼人譲りの患者思いの性格から、新吾は休みをとりにくい。
それでも、昨今の国際情勢を見て取り、また、再三にわたる摩利の強い勧めもあって長期休暇をとる決心を固めたようだ。
「相変わらずのおひとよしが…。『摩利のおかげで』もないだろう。
第一、運が良いだけで博士号が取れるか!」
新吾のことになると、摩利も“相変わらず”だ。自分の感情を解き放って、とても嬉しそうに苦笑する。
「なんでおれがおまえを大すきだか知っている? ばかだから」
「もう、8年も前になるのか。新吾にもおれにも重要な年になったよなぁ。」
1928年8月、摩利は日本へ向かう船の中で、織田幹雄が3段跳びで、鶴田義行が200メートル平泳ぎで、オリンピック史上、日本人初の金メダルを獲った知らせを聞いた。
「アムステルダム大会だったか、長旅に飽きの来ていた日本人乗客たちが祝勝の宴会を張って大騒ぎしたんだ。」
その年は2ヶ月ほどの日本滞在で仕事も忙しかったが、新吾の顔を見るのに労を惜しむ摩利ではない。
仏蘭西に戻る日も近づいた頃、背の赤い小ぶりのトンボが飛び交う夕方、ふらりと摩利が庭先から印南家に顔を出すと、新吾もかた肌脱ぎになって竹刀を振りながら
摩利を待ちかねていた。お神酒徳利の勘の良さは、ますます磨かれているらしい。
「実は摩利に見せたいものがあるのだ。」
新吾が見開きにした帳面を摩利の前に置いた。自分が夢中になっていることは摩利が
理解できようとできまいと、逐一、報告しておきたい新吾だ。
「これが現在、広く使われている薬剤の成分と製法、そして投与の実例。
これは今、おれが考えているところなのだが…」
日赤病院に勤務していた時も今も、新吾は、摩利が目に留まるたびに買い付けては送ってくる
最新の西洋医学書に、睡眠時間を削ってでも必ず目を通している。
留学時代のツテを頼っては重要な研究論文の取り寄せも怠らない。
独・仏・英と堪能な語学で、新吾は今でも世界の最先端の医学情報を学び続けている。
父の墓前に誓ったとおり、亡き青太や篝に約束したとおり、少しでも新しい西洋の治療方法を
取りいれて、ひとりでも多くの患者を救いたいと言う使命感を忘れてはないからだ。
「新吾の考案した方法だと、副作用の少ないものができるというわけか…。」
帳面を指差しながらの新吾の説明を聞き終えて摩利はつぶやきながら考えをまとめる。
「おい、新吾の説明からすると製造原価もかなり安くなるのではないか?」
摩利が父譲りの、そして鍛え上げた商人の顔となり、即座に取り引きのある製薬会社、
鷹塔家が後援している医療財団、各国の政府関係機関と自分の手の内のカードを組み立て
はじめる。
「いけるぞ、これは。新吾、医学的なことをもっと具体的につめてくれ。」
―― 身を乗り出したおれに新吾がきょとんとしていたな。
新吾の基礎研究と発案をもとにした新薬の商権を、摩利は独占的に獲得し日本だけでなく
欧米各国の製薬会社との取り引きで莫大な利益を上げた。
「うむ、商品として出回り、どこの病院でも容易に手に入るようになるというのは、
おれの研究の成果が多くの人に役に立つことだからな。むしろ、礼を言うぞ、摩利!」
そう言って満足そうな“おひさまの笑顔”を見せる新吾に、自分の権利に対する報酬を受け取らせるのが、この事業で最大の難関だった。
「おれが医学を勉強できたのは全面的におじさまのおかげなのだから、どれほどお礼をしても足りるものではないんだぞ。
印南のおじいさまも口にこそ出さなかったが、嗣子であるおれが他家の援助を受けたままになっていたことをどれだけ気に病んでいたか。数馬おじ上とて同じ思いだ。」
ああ、聞かなくても新吾の言うことはわかるよとため息をつく摩利だ。
それでも、なんだかんだと理屈を付けて摩利が強引に受け取らせた報酬の一部を、新吾は生家の買い戻し資金に当て、夢殿への返済を鮮やかに済ませた。
摩利から事の一部始終を聞いた夢殿のおおらかな笑いも、持堂院時代と変わらなかった。
新吾のおかげで翌年、世界大恐慌が起こっても、とうさまたちの会社は業績を大きく伸ばせたんだ。
そう言っても新吾にはピンとこないだろうなぁ…くすっと笑って、メーリンク邸の中庭を見下ろす窓際の机で、摩利は新吾の定期便に返事を書きはじめた。