★ 摩利と新吾 ★
ドリナの娘をめぐる一考察 〜〜まともにネタバレです〜〜
旧制高校の例に漏れず持堂院高校も昭和25年の3月31日に廃止されますが、
その最後を見届ける人垣の中に、ドリナの娘と孫娘の姿が描かれています。
この母娘の会話からドリナはペタルと結婚したことが伺われますが、
ドリナの娘は新吾にそっくり!
さて、『摩利と新吾』の最終場面に登場するこの異国の婦人は、新吾の血を受け継いでいるの
でしょうか?
例によって、私が独断と偏見で推察してみました。
(イメージが壊れそうな方は、このページをお読み下さいませんよう、伏してお願いいたします。)
年齢的な可能性の考察
先ずは客観的に判断できるところから検討してみましょう。
1914年8月に独逸は対露西亜に宣戦しましたが、摩利と新吾はその直前に独逸を出て
ローザンヌへ移りました。(註1)
そして、ローザンヌの地で新吾とドリナは劇的に出会いますが、それは同年9月以降のことと
明記されています。(註2)
(註1) 白泉社文庫6,P277、花とゆめコミックス11,P139、角川全集20, P185
(註2) 白泉社文庫6,P278、花とゆめコミックス11,P140、角川全集20, P186
新吾、次いで摩利がセルビアゲリラに拉致監禁されてしまい、夢殿がゲハルト閣下に
救出を要請しに出向いたものの玄関払いを繰り返されました。その時のゲハルト閣下の心情について、
ウルリーケは、「中国大陸で このあいだドイツ軍が日本軍に負けてから 閣下の日本嫌いにも
加速がついているのよ」と説明しています。(註3)
戦局を見ると、1914年9月に日本軍は山東に上陸、翌10月には独逸領だった南洋群島まで
占領していますが、この南洋諸島占領までは論及されていないので、新吾たちのの拉致監禁は
9月に発生したと考えて良いでしょう。しかも、ウルリーケの上記の発言と相前後して
摩利と新吾は脱出しますから、一週間に及ぶ誘拐事件は9月中に解決したと見て良いかと
思います。
(註3) 白泉社文庫7,P78、花とゆめコミックス12,P76、角川全集20, P316
また、ドリナがセルビアに去り、新吾との関係の見直しを迫られた傷心の摩利が、
思い余って巴里在住の父、鷹塔伯爵を訪ねたのは、トルコ参戦後であり(註4)、
マルヌ会戦の後です(註5)。
ちなみに、マルヌ会戦は1914年9月5日から12日、トルコが同盟国側に参戦したのが
同年10月です。
(註4) 白泉社文庫7,P185、花とゆめコミックス12,P183、角川全集21, P95
(註5) 白泉社文庫7,P186、花とゆめコミックス12,P184、角川全集22, P96
以上の歴史的背景と、ドリナと新吾の別れの場面が落葉の始まりの季節で
あったことをも合せ考えると新吾の初恋は、1914年9月初旬〜中旬に始まり、
10月初旬〜中旬には“あっけなく終わった”と推測されます。
その間にドリナが新吾の子どもを身ごもったとしたら、その子どもは昭和25年
(1950年)には35歳くらいになっているはずです。
従って、持堂院高等学校に駆けつけた異国女性が年齢的には
新吾の血を享けていることも充分可能であると考えます。
というわけで、新吾の子どもの可能性ありという前提で以下の考察を進めます。
そうなること、そうしたのだ
新吾とドリナの関係はお互いに一目ぼれ状態で、きわめて情緒が先行する恋愛だったことは
「手に手をとって ことばのいらない 世界に翔んだ」という描写、及びその前後から伺われます。
ゲリラという立場上、行動に制約の多いドリナは時間の遣り繰りをして、できる限り新吾との
逢瀬の機会を作っていたようです。が、その間に二人の間にはお互いの身上を語る
会話さえ乏しかったと思われます。なにしろ、ペタルが負傷した時に初めて新吾が医学部の
学生であることをドリナが知ったくらいなのですから。
もちろんドリナの側にしてみれば、セルビアゲリラである事情を説明するのは自分の
仲間を含めて死活問題ですから、ひた隠しにするでしょう。
でも、お互いの情報交換が乏しかったのはそれだけではないと思います。
知性や理性の会話より情感に身を委ねる方が二人にとって心地よかったためではないでしょうか。
即ち、大恋愛の初期状態、とにかく二人きりでいられればそれで嬉しくて、
お互いに、ただただ会いたくて仕方がない状態であったのでしょう。
次に、新吾がドリナとのどのような関係であったは具体的には語られていませんが、
摩利に促されての事情説明を御参照下さい。
こんなに長いあいだ 一緒にいて… 機会も たくさん あったのに 何もなかった……
きっと 摩利は 心のどこかで そうなることを 望まなかったのではないか……
(摩利との関係があくまでプラトニックなものに留まっていることについて、
新吾が摩利に告げた思いより抜粋)
もっとふれたい 近くにいたい たしかめたい
どんどん 気持ちが ふくれていって……
そうして そうしたのだ……
(新吾のドリナへの情感について摩利に対する説明より)
かなり微妙な表現ながら、何か示唆するものがあるような気がします。
ドリナと劇的な出会いの直前に、新吾がウルリーケとの気持ちを伴わない
情事に空しさを覚え「愛がなくても行為はできる」とひとり落ち込んでいたのも、
伏線として考えられるかもしれません。
よめさん右手、子供は左手……
新吾はドリナにはっきりと言葉で結婚の申し込みをした時に、すでに
子供が生まれるであろうことを想定しています。今までは、新吾の
家庭観一般論として読み飛ばしていた部分ですが、これも伏線の一つと読めなくもありません。
そうは言っても、時代が時代だから・・・
日本では、江戸時代以降、儒教思想が道徳規範として政策的に採用されていて、
女性のみに貞操が求められていました。根がド真面目で、育ちの良い新吾のことだから、
もしかしたら、正式に結婚するまでは、遊郭などは別にして、好きな女性であろうとも
子供ができるようなことはしてはイケナイと思い込んでいた考えられるような気もします。
それもこれも含めて、私の結論です
最初に謝ってしまいます。全く、私の独断なのでDOZIさま、
見当外れだったらお許し下さいませ。
それと、ここまで読んでしまってイメージが壊れたと仰せの皆様、どうか、寛大なお心で、
即座に忘れてやって下さいませ。
では、結論です。
いずれは結婚するという意志を固めた時点でか、あるいは、今生の別れと覚悟を決めた時点でかは
判別できないけれど、ドリナは新吾の子供を宿したと考えます。
ただし、新吾はもちろんのことドリナ自身もその事に気付かぬうちに、新吾と別れて
セルビアに帰国したのではないしょうか。
もし、ドリナが自分の子供を身ごもっていることを知ったら、
新吾のことですから、そのままドリナと別れられるはずがありません。
無条件に自分がセルビアについて行くか、ドリナを無理にでも引き止めるか、どちらの道を選ぶかは
状況に依ると思いますが、必ず父親としての責任を果たそうとして、
結果として摩利を巻き込み、無茶な真似をしたのではないでしょうか。
(あ、考えるだに恐ろしい構図だ・・・)
当然、ドリナは既に気付いていて新吾にその事を告げなかったというケースも考えられますが、
「わたしを待って 独身を通すなんて ばかなまねだけはしないでね」という別れ際の言葉からは、
忘れ形見を宿している女性とは異質の悲壮感を感じます。
即ち、自分にとっても新吾にとっても、このおそらく生涯一度の大恋愛を過去のものとして
完全に葬る覚悟が先行しているよう感じです。
そして、セルビアに帰国して後、ドリナは自分が妊娠していることに気付き、
新吾とのいきさつの一部始終を見ていたペタルが、
全てを承知の上で、しかし、他の人には一切の事情を話すことなくドリナと結婚した・・・
と、こんなふうに私は考え至ったのですが・・・、如何なものでしょうか・・・・・・
(1999.9.17 up / 1999.12.2 画像追加)
著作権法32条に因り画像を掲載しています
ドリナの娘をめぐる一考察 追記
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