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ミネルバのフクロウは宵闇の訪れを待って飛び立つ


第 八 話


 「おにいちゃーん」
 昼下がり、外からシローの息せき切った声が飛び込んでくる。自転車を修理してからここ三日、シローは朝となく昼となく行き先も告げずに姿を消していた。
 「シロー、おまえ、なにやってたんだ」
 居間の窓からのぞいた甲児があきれて言う。二階から見ても手足どころか頭から全身泥水を浴びたあとがわかる。シローは気にするでもなく、夏の太陽のような笑顔で兄に向かって両腕を大きくふりまわし、声を張り上げる。
 「いいから、見てよお」
 自転車の荷台にくくりつけた大きな魚篭(びく)で水がはねた。会心の釣果があったらしい。
 「なにが釣れたんだ」
 「へへへ、まあ、とにかくさ、見てよ」
 よほどの大捕物だったのだろう。ゴム草履を突っかけた足はもちろんのこと、髪の毛まで泥が固まってごわごわだ。
 シローの姿に甲児はなつかしさを感じる。
 ああ、そうか。五年前、十年前のおれの姿だ。あの顔の泥のあと。一度、乾いてはりついた泥が自転車をこぐ汗で流れたんだ――。
 「待ってろ」
 甲児が庭に駆けおりた。
 「沼の主(ぬし)だよ」
 黒々とした大ナマズが、魚篭の中で窮屈そうにヒゲをゆらしている。
 「今年は水不足で沼も水が減っているだろ。だから姿が見えたんだ」
 「こんな大きいナマズ、よく上げたな。引きがすごかっただろ」
 兄の瞠目にシローの笑顔がさらに輝く。
 「うん。さおで上げきれなくて、最後は網ですくった。大暴れしたよ。さおが折れるかと思った」
 「だろうな」
 「あの水槽で飼うんだ」
 得意げにシローが宣言した。
 「はぁ? 飼うって。ナマズを、居間でか」
 あまりのことに甲児が拍子抜けした声になる。
 「……だめ?」
 シローが声をひそめて兄の顔色をうかがう。
 「だめって、おまえ…」
 甲児が「だめだ」と突っぱねたら、シローは頬をふくらませて思いっきり文句を言うだろう。猛然と抗議し、落胆してうなだれる弟の姿が見えるようだ。
 そういや、おれもいろんなもの捕まえたよな。カエル、トカゲ、ヘビ、ザリガニ…。なにを持って帰ってもお手伝いさんは悲鳴をあげて大騒ぎした。だけど、おかあさんが騒いだことはなかった。叱られた憶えもない。まして、おとうさんやおじいさんに怒られた記憶はない――。
 両親や祖父の笑顔ばかり思い出す。甲児は口元にちょっと微苦笑が浮かべ、おれがシローに「だめ」と言えるはずないなと声に出さずつぶやいた。
 「ちゃんと世話しろよ」
 不安顔のシローが笑みを取り戻し、声も明るくなる。
 「うん、ちゃんと世話するよ」
 うきうきと荷台から魚篭をはずした。
 「本当に世話しろよ。水換えたり、餌やったり、毎日だと大変だぞ。すぐに学校も始まるんだぞ」
 「大丈夫だよ。それに、餌やりくらいなら、おにいちゃんも手伝ってくれるだろ」
 重そうに魚篭を抱えて、シローがぺろっと舌を出す。
 「こいつ、言ってるそばから……。まあ、餌やりくらいならな」
 「へへ、さすがおにちゃん。さ、水槽に水を入れなきゃ」
 出かける前にバケツにくみ置いた水はカルキが抜けている。
 「終わったらシャワーあびて来い。腹へっただろ。お昼にしよう」
 「そういえばお腹ペコペコだ。忘れてた」
 兄弟であははと笑う。
 「それで、おれは午後から研究所に行くけど」
 「研究所に?」
 「さっき弓先生から電話があったんだ。緊急地震対策委員会の詳細が決まったって」
 「先生、また出張かあ。忙しいなあ」
 「先生の留守中の相談だけど、シローも来るか」
 「行く行く、もちろん。ぼく、さやかさんにも会いたいんだ」
 パンク修理に行った日の午後、予定どおり弓教授の抜糸が終わったとシローは人づてに聞いた。けれどまだ直接さやかの顔を見て「よかったね」と喜びを分かち合っていない。
 「じゃあ、よく泥落として来いよ」
 「うん、これじゃ靴もはけない」
 サイクリング車のサイドバッグから、いつもの運動靴を引っ張り出す。
 「まず自転車を片づけなきゃ」
 シローはサイドスタンドを蹴り上げ、ゴム草履をぱたぱたさせて自転車とともに小走りでガレージに向かった。
 その頃、光子力研究所のさやかも小走りになっていた。
 「食堂にまで呼び出しを入れるなんて、なにかしら」
 繊維室からの至急の呼び出しだった。さやかは昼食を途中で切り上げて、ジャパニウム精錬室のとなりの繊維室に向かった。
 もともと精錬室や繊維室に出入りできる所員は少ない。まして昼休み、付近の廊下は静まり返っている。ジャンプスーツのじゃじゃ馬娘は、人目のない気安さで、ピンクのサッシュをなびかせて廊下を存分に駆け抜けた。
 分厚い鉄扉はノックの音が伝わらない。「失礼します」と声をかけて扉を開くと、もりもり博士が散乱した作業台を片づけている。
 「早かったですね、お嬢さん。さては廊下を走りましたね」
 じゃじゃ馬娘は軽く弾ませていた呼吸をすっと止めた。この前濃霧の朝、平常時だというのに資料室へ全力疾走して、父にこってり注意されたばかりだ。
 「そんな、走るなんて。ちょっと急ぎ足しただけですわ」
 さやかの返事にのっそり博士が声をたてずに笑って、のどかな声で言った。
 「作れる時に作ってしまいましたよ」
 「作ってしまいましたよって、なにを…」
 「すぐに、せわし博士が持ってきます」
 もりもり博士は少し思わせぶりに答え、物がなくなった作業台をぬれ雑巾でふく。
 「最終チェックも、もう終わるでしょう」
 のっそり博士の視線を追うと、ガラス窓から隣室のせわし博士の姿が見えた。ピンクの布を持っている。
 「もしかして、あたしのガードスーツ」
 「そうです。お嬢さんがわれわれに一任してくれましたからね」
 のっそり博士が見本布を整理しながら眠そうな目でまた笑う。
 三日前、シミュレーションが終わってから弓教授を交えてガードスーツの最終確認をした。父であり光子力研究所長である弓教授の前で、じゃじゃ馬娘は「測定の結果と三博士の判断を絶対的に尊重する」と再度約束した。
 そのあと今の今まで、さやかは三博士の姿を見なかった。
 「あれからずっと、あたしのガードスーツを作っていたんですか」
 「幸い機械獣の襲撃もなくて、かかり切れましたよ。心もち肩は凝りましたが」
 のっそり博士が左右に首を曲げると、ばきばきっと音がした。さやかが「大丈夫ですか」と言いかけたら、扉が開いてせわし博士の早口が流れ込んできた。
 「いや、お待たせしました。さあ、いかがですかな、お嬢さん。ご希望どおり、甲児くんと同じ生地でつくりましたぞ。お嬢さんの身体への負担は許容範囲内でしたからな。ただし重さは最低限に押さえました」
 せわし博士は作業台にスーツを広げると、背中に手を当てて「よいしょ」と腰を伸ばした。全身からみしっと音がしそうだ。
 「色もお嬢さんのご希望どおり、ローズピンクを中心に白をアクセントにしていますよ。ベルトは同じ色には染められなかったのですが」
 おっとり言って、のっそり博士が光子銃のホルダーがついたベルトを添えた。
 「なんて短いスカート」
 さやかの言葉が途切れる。
 「苦情は受け付けませんぞ。約束ですからな」
 せわし博士がしてやったりという笑顔で、
 「日本古来のガードスーツのデザインです」
 「日本古来のガードスーツって、このミニスカートのワンピースが…」
 唖然とするさやかに、小柄な博士が高らかに笑う。
 「甲冑つまり鎧を参考にしたんです。ですからこれはスカートではなくて草摺(くさずり)というわけです」
 狐につままれたような顔で、さやかがワンピースを手にとった。
 「今のジャンプスーツより軽いわ。そうよね、ワンピースだもの」
 せわし博士がこほんと咳払いして、
 「この生地で上着と長ズボンとなったら、お嬢さんには重すぎます。だからのっそり博士は新しい生地を設計した。ところが、お嬢さんから、防御力の大きい生地で作って欲しいという要請があった。
 むちゃと言えばむちゃな話、しかし、あえて検討してみたわけです。従来の生地で、お嬢さんのガードスーツを作るとしたら、どのようなものが可能かと」
 丸眼鏡の中で目を閉じて、自分の話に「うむ」とうなずく。
 「とにかく、あらゆる場面でお嬢さんの身を守れるものが一番良いガードスーツ。そして考えるにですぞ、アフロダイAの操縦席は上半身の危険が大きい。だが、長時間の着用による疲労や、緊急脱出のことも考えなければならない」
 さやかが指先でスカートのひだの内側をつまんだ。
 「この生地」
 もりもり博士が笑う。
 「気づきましたか」
 「はい。色は全部同じだけど、違う布で接(は)ぎ合わせてあるわ」
 「外側は厚い生地、直接外に出ないひだの内側は軽い生地にしてたんですよ」
 もりもり博士の説明に続けて、せわし博士が有無を言わせない口調で言い切る。
 「全部完璧に同じというわけにはいきませんぞ。マジンガーZとアフロダイAだって、違うところは違うんですからね」
 さやかが言葉に詰まる。もりもり博士が大らかな調子でお嬢さんの肩をパタパタたたき、
 「さて、さて、甲冑にはつき物といえば、篭手(こて)と脛当(すねあて)。もちろん超合金Z製です」
 とミニスカートの横に長手袋とブーツを並べた。
 「草摺と脛当のすきまの防御には、佩盾(はいだて)を作りましたよ。超合金Zの特殊延伸の技術で、シームレスです」
 のっそり博士はすまして言うが、やはりどこか悪ふざけを楽しむ風情だ。
 「ハイダテって、これ、スパッツ」
 やっと一言、さやかの言葉が出た。
 「うまく肌色が出てくれて助かった」
 せわし博士がしみじみ言う。
 「シームレスといい、肌色といい、のっそり博士のご苦労の賜物じゃ。スパッツができなければ、このガードスーツは実用化できなかった。おじょうさん、のっそり博士に、よくお礼を言わなければいけませんぞ」
 「せわし博士、大げさですよ」
 のっそり博士が照れて苦笑する。もりもり博士がピンクと白のヘルメットを、ポンとさやかの手に乗せた。
 「今までの合金Z製より軽くて丈夫です」
 新しいヘルメットを胸に抱えて、さやかが我に返った。
 「本当に、三博士って」
 はじけたように笑いが止まらなくなった。一緒になって博士たちも笑う。笑いながらせわし博士が大あくびをした。のっそり博士、もりもり博士とあくびがうつる。三人三様の目の下のクマが、三日間の不眠不休をさやかに知らせる。
 「お疲れ直しにコーヒーを淹れましょうか」
 「いやいや、その前に、お嬢さん、試着してください」
 と、のっそり博士が言えば、もりもり博士もうながす。
 「直すところがあれば、今のうちに直してしまいますよ」
 「わかりました」
 さやかがガードスーツ一揃いを両腕に抱えて廊下に消える。作業台にぽつんと色見本のスーツケースが残った。
 とびきり上等のガードスーツはできたし、じゃじゃ馬娘からのクレームもなさそうだ。
 「どれ、お嬢さんを待ちがてら、一休みしましょうか」
 誰からともなく言い出して三博士がゆったり椅子に腰をおろす。ほっと表情がなごみ、肩の力が抜けた。
 安堵の空気が流れる。
 ほどなく鉄扉が勢いよく開いた。さやかが声を弾ませて報告する。
 「三博士、サイズはぴったり、どこも直す必要はありません。初めて着て四分で着がえられたから慣れれば二分で着がえられるかしら」
 返事がない。みんなぐっすり寝入っている。三人とも遊び疲れた子供のような寝顔だ。
 「ここなら静かだわ。だけど寝冷えは困るわね」
 足音を忍ばせて冷房の温度を少し上げる。
 「これでよし、と」
 廊下に出て、音を立てないように重い鉄扉をそっと閉めた。
 そのまま手近のエレベーターに乗って、アフロダイAの連絡路に向かった。
 格納庫は今日もひっそりしている。さやかは連絡路からアフロダイAを見下ろした。光子力ミサイルを搭載してもピンクと黄色のボディは柔らかな曲線を描いている。
 あたしだって、できることなら、アフロダイAには資源開発や、光子力の平和利用のための実験だけさせておきたいわ。起重機って言われても、そのほうがアフロダイAは幸せだもの――。
 「……なんてね」
 小さくつぶやき、背筋を伸ばした。ブーツのかかとをそろえて天井を見上げ、ひときわ陽気な声で自分に語りかける。
 「せっかくガードスーツを作ってもらったんだから」
 真新しいヘルメットをかぶって、鉄製の細い連絡路を一気に駆け抜ける。短いスカートは脚さばきが良く、白いブーツのかかとがカンカンカンと小気味良くリズムをきざむ。

弓さやかの後期戦闘服はミニスカート
連絡路を走り抜けるさやか(画 シローK氏)

 コクピットに飛び込み、無線機のスイッチを入れた。
 「おとうさま、新しいガードスーツでアフロダイAの試乗をしてみます。打ち合わせの時間までには、ちゃんと戻るわ」
 返事も待たずに格納庫のゲートを開き、プールの反射を横目に軽く走り出す。
 「うん、快調、ガードスーツの着心地は最高。さあ、どこに行こう」
 研究所の正門を出て道路の左右を見る。街中、海岸、山の中、アフロダイAの巡回ルートはいくつもあるが、どこに行くにも今日は時間が足りない。
 「お散歩しちゃお。お昼休みの途中で呼び出されたんですもの、いいわよね」
 軽く肩をすくめて前進レバーに手をかけ、公道をはずれた。草が踏みしだかれた原っぱを突っ切って、研究所からほど近い森に到る。日照り続きでも地下水脈のおかげで、樹木は生き生きしている。たくらみごと有り気にうふふと笑い、アフロダイAの胸の高さで立ち並ぶ木々を見渡す。
 「一度やってみたかったんだ」
 腕まくり気分で操縦桿を握る。
 ピンクとオレンジのロボットが深緑の樹林に分け入った。
 「よし、行けるわ」
 枝を折らないように、幹を蹴飛ばさないように、下枝を踏みつけないようにと、細心の注意を払って遊歩道を一歩二歩と前進する。
 気がつくとアフロダイAは艶やかな枝葉に胸まですっぽり浸っている。樹海ほど広大な森林ではないが、コクピットからの眺めは波濤つらなる海原のようだ。水の中は苦手なアフロダイAだが深緑の海は心地よく、ひと時日常の緊迫を忘れる。
 前進するアフロダイAの行く手を、大人の一抱えもありそうな枝が阻んでいる。
 「ここまでかしら」
 いくら太い枝でも、アフロダイAが力まかせに押しのけたら確実にへし折れる。
 「でも、まだ時間はあるわ。ものは試しよ」
 数日前のシミュレーションを思い出し、「太い枝を折れない程度にしならせて、隙間をすり抜ける手順」を組み立てる。
 まず、幅の狭い遊歩道に沿って足を前後に踏んばり、アフロダイAの躯体を安定させた。それから、ずっしりした枝を両手で丁寧に支え、そっと持ち上げる。
 へし折ったらやり直しのきかない生木だ。さやかは枝のしなり具合に目を凝らし、ほんの少し出力を上げた。
 大枝が揺らぎ、周囲の木々も揺れた。
 その狭間からフクロウが大きく羽をばたつかせて飛び出した。
 とっさにアフロダイAを静止させる。
 夏の白い空に高く舞い上がったフクロウは、方向を見定めて森の奥に飛んで行く。さやかは見えなくなるまで目で追った。
 「ごめんなさい、お昼寝の邪魔しちゃったわね」
 たわめた枝からアフロダイAが手を離す。揺れ返す木々の間から飛び出す鳥はもういない。
 「フクロウ。戦いの女神の使者。戦いが続く世界に、正義を勝利させるために遣わされる猛禽」
 自分のつぶやきが他人の声のように耳に入り、心の底に一抹よどむ想いを汲み上げた。
 ミネルバX、正義を勝利させる優雅な猛禽。マジンガーZと同じ武器を持っていて…。アフロダイAには…――。
 「え」
 空からひとひら木の葉のようなものが降ってきた。
 「鳥の羽? あの色」
 飛び出したフクロウの翼からこぼれた羽毛だ。ふわっと風防に乗る。見る間にすべり落ち、アフロダイAの手のひらに舞い降りた。
 ――フクロウがアフロダイAに羽を残した…?
 まわりの葉末(はずえ)がかすかな風にさざめいた。考えるより先に身体が動き、手早く計器盤を操作した。羽毛が飛び失せる前にレディーロボットは柔らかくこぶしを握った。
 「よかった。間に合った」
 ふっとフクロウが飛び出した大木を見やる。
 「フクロウの巣があるのかしら」
 アフロダイAが膝を折り、木々の枝をかき分けて身体をかがめた。夏のたわわな枝葉が厚く重なりあう森の中は薄暗い。木の根をよけて腰をおろし、膝を抱えた。揺れのおさまった立ち木から再び蝉時雨が響きだす。
 「この木の向こうだったわ」
 さやかは操縦席から立ち上がった。風防に手をついて緑陰を凝視するが、フクロウの巣が見えるはずもない。
 風防にぼんやり映る自分の姿が目に入った。
 「あ」
 突然、博士たちの言葉を思い出した。
 ――しかしミネルバXの出現で、兜博士もマジンガーZを補佐するロボットの製作を予定していたことが判明した。本来は戦闘用でなくても、今のわれわれにはアフロダイAしかありませんからな。そのためにもお嬢さんのガードスーツは重要な意味を持ってくる。
 「このガードスーツ」
 こぼれた自分のつぶやきに、問いとも答えともつかない想いが浮かんだ。
 ――アフロダイAが、戦いの場でマジンガーZの力になれるように…?
 改めて風防にうっすら映る真新しいガードスーツを見る。目線を落とすと、アフロダイAの手はフクロウの羽を包んでいる。
 「ミネルバX、あなた…」
 こずえを離れた油蝉が、アフロダイAの頬にぶつかった。ジィと鋭い声をあげ、道はずれのわずかな木洩れ日を目指して飛んで行く。
 「いけない」
 屋外でいつまでも操縦席を離れていたら危険だ。急いで操縦席に戻る。
 操縦桿を握って、ふと考えた。今、アフロダイAはなにを感じて、なにを考えているのかしら、と。
 森の奥、フクロウが飛び去った方角を見透かせば、アフロダイAの足元からフクロウの行方をたどるように、曲がりくねった遊歩道が続いている。
 けれども、その行き先はうっそうと生い茂る大木の暗がりに沈んでさやかには見えない。
 とぎれず響く蝉時雨が潮騒めいて聞こえる。
 アフロダイAを取り巻くこの森の薄闇は、ミネルバXの横たわる水底の暗闇につながっている――。
 そんな感覚にとらわれた。
 「時間だわ。帰らなくちゃ」
 胸いっぱいの深呼吸をして、ありえない感覚を振り払う。
 木下闇にうずくまっていたアフロダイAが動きを取り戻す。
 厚く重なる枝をかき分けて立ち上がった。夏の終わりの太陽が、あふれるばかりの光をコクピットに注ぐ。
 帰路に向けて反転した。遊歩道の左右から伸びる枝を片手で押さえ、半身をよじって一歩また一歩と進む。片手だと森の中は歩きにくい。しかしフクロウの羽を手放す気にはなれない。
 こんな煩雑な操作、シミュレーションだったらうんざりだ。けれども今のさやかは七面倒な操縦がこの上なく楽しい。
 「よーし」
 森を抜けて原っぱに出た。こまごました操作の連続で、腕も肩も筋肉がこわばっている。しかし楽しいことに夢中になった疲労感は心地よい。両腕を大きく伸ばした。
 「ガードスーツの試着テスト、無事に完了」
 あまりに機嫌の良い声に我ながら照れてしまう。照れ隠し半分、腰を浮かせて短いスカートのひだを整え、座りなおした。
 あとは軽く走って帰るだけだ。念のためにと、羽毛を握りこんだアフロダイAの手を胸元に引き寄せた。
 「ミネルバのフクロウは宵闇の訪れを待って飛び立つ、か。……ああ、もう、やっぱり」
 癪(しゃく)なことに、どうしても一緒に思い出してしまう。
 ――アフロダイAのおっぱいは機械獣の来襲を待って飛び出す。
 甲児の声が聞こえるようだ。
 「あったまくるなあ」
 近ごろつくづく言葉づかいが悪くなった。自分でもあきれ笑いがこみあげる。
 「甲児くんのせいだわ」
 ついでに、ふんと鼻まで鳴らした。
 「でも」
 アフロダイAの手をそっと持ち上げた。きれいに五指を閉じてフクロウの羽を包んでいる。
 ま、いいか。ミネルバXを送る時、「ぼくはアフロダイAとがんばる」って言ってくれたから――。
 ちょっと首をかしげて、頬で笑った。
 乾いた道のかなたに土ぼこりがあがる。
 「あら」
 甲児のバイクだ。うしろでシローが手をふっている。
 「上は灼熱の太陽、下はじっくり蓄熱のエンジン、炎天下のバイクは厳しいよね」
 アフロダイAのコクピットは涼しくて快適だ。
 「とっておきのアイスクリーム、出してやるか。最後の一カートンだけど」
 無線機のスイッチを入れる。
 「おとうさま、甲児くんたちが間もなく研究所に到着するわ。あたし、一足先に戻って打ち合わせの用意します。おとうさまの出張についてだから、場所は所長室でいいのかしら」
 弓教授が出席する緊急地震対策委員会は、明日、山中湖畔のホテルで開催される。
 すでに相模湾には、あしゅら男爵の海底要塞サルードが潜んでいる。
 あしゅら男爵はブロッケン伯爵に今までの失態をなじられ、飛行要塞グールの司令官の座を当然のように奪われたばかりだ。
 ブロッケン伯爵は、ドクターヘル直々の招きでヨーロッパから来たのだと昂然と言った。それもひとえにあしゅら男爵の不甲斐なさが原因だと。
 嘆願の末、あしゅら男爵は今回の出撃を認められた。ドクターヘルは、「名誉挽回の最後のチャンス」と明言した。もはや背水の陣をひくしかない。
 ザリガンG8の出動は間近だ。

(2006.07.16 本文 UP / 08.12 シローKさんのイラスト追加)


第 七 話
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