「アフロダイAが動かないから、調子が狂ちゃう」 非常事態、取るものもとりあえず操縦席に駆けつけ、あれこれ考えず身体が動くに任せて格納庫から飛び出す。これが近時のさやかの日常だ。しかし今日のシミュレーションはひとつひとつ手順を考えなければならない。それがひどく新鮮に感じる。 「地質調査なんて、もう何か月もやっていないんですもの。考えないと操作できないわ」 操縦席の横に置いたモニターが、さやかの心拍を波型に映している。せわし博士が「ふむ」と考える。 「地質調査のシミュレーションより、戦闘のシミュレーションのほうが平常時に近い結果が出たかもしれませんな」 「あたしもそう思います」 平和の使者アフロダイAの記録に戦闘シミュレーションが残るのは、光子力研究所として好ましくない。さやかも、口に出さない博士たちの配慮を察して文句は言わないが、注文をつけるのは忘れない。 「データを検討する時は、それも考慮してくださいね」 「はいはい、わかっていますよ」 「そうだわ。後でのっそり博士ともりもり博士にもお話して、お願いしておかなくちゃ」 二人の博士は繊維室で型紙を起こし、生地の必要量を計算している。 「おや、足もと、気をつけてくださいよ、お嬢さん」 ブーツのかかとが心電図の電極とモニターをつなぐコードを踏んでいる。 「いけない。すみません」 さやかが足をよけた。 「じゃ、少しこっちに置きますか」 若干長すぎるコードを、せわし博士がモニターの後ろに手繰り寄せた。 「電極は大丈夫ですかな。外れたり、ずれたり…」 「ええと…」 さやかが左脇と肩につけた心電図の電極を上着の上からさぐる。 「はい、大丈夫です」 モニターの画面にも異常はない。 「問題なし、ですな」 せわし博士がメモに書きつけた。さやかは地質調査を続ける。かつてアフロダイAでやっていた作業を再現したシミュレーションだけに、時間とともに動作がこなれてきた。ただ余裕ができるのも良し悪しだ。実際の作動を伴わないだけに気が緩み、いらない雑念もわいてくる。 唐突に甲児の皮肉が脳内で再生された。 ――アフロダイAは起重機がわりってわけですね。 腹立ちのあまり、夢にまで出てきた皮肉だ。さやかは力いっぱい操縦桿を握った。声に出さず、居もしない甲児にたんかを切る。 冗談じゃないわ。こんなに繊細な起重機があってたまるもんですか――。 平静を装ってシミュレーションを続けるだけで心拍数が上がりそうだ。 「四回目の採血をしますよ」 せわし博士の声に、さやかはほっとした。 「はい。今度は右手ですか」 左の手の甲は、三枚の絆創膏が八割方を覆っている。 「左手で採れなければ右手で採りますが、まず左を見てましょう。前の絆創膏は、はがしていいですよ。五分もすれば血は止まります。細い針ですからな」 せわし博士の言葉どおり、先に採血した三つの注射針のあとは、すでに胡麻粒ほどの赤いかさぶたになっていた。 「もっと、ぎゅっと握ってください。親指を内側にして」 さやかが力を込めてこぶしを作った。徐々に血管が浮いてくる。せわし博士が青く透ける静脈を指先で押さえた。 「左のここで採れますね。では、ちくっとしますぞ」 アルコール消毒のひやっとした感触とともに、ちくりと針が刺さった。細い注射器にすっと血液が上がる。 「ちょっと右手で押さえていてください」 さやかが脱脂綿で針の跡を押さえる。せわし博士は薬液の入った試験管に血液を移して軽く振り混ぜ、識別ラベルを貼った。 「じゃあ、お嬢さん、手を…」 さやかの手にも絆創膏を貼って、一連の採血作業が終わる。 「これから医療スタッフに渡しますから、分析結果が出るのは明日になると思いますが…。 おお、医療スタッフと言えば、所長の抜糸は何時からですか」 これまで二回の抜糸の予定日には、さやかは朝からそわそわしていた。今日はしごく落ち着いている。 「おとうさまの抜糸…」 すっかり忘れていた。今朝、起きた時は覚えていたのだが。 「ええ、昨日、聞いた話ですが、午後から手が空いたら処置室に行くと言っていました」 せわし博士が人の良い笑顔を見せる。 「そうですか、三度目の正直になるといいですねえ。お嬢さんのガードスーツが、ちょうど快気祝いなりますぞ」 「快気祝い……になるかしら」 以前、アフロダイAを戦闘用に改造しようとさやかが提案した時、父ははっきりと反対した。今回のガードスーツの制作もやむなく許可しただけで、喜ばしい出来事だとは思っていないような気がする。 「なりますとも。より安全にお嬢さんが…」 「いけない。まちがえちゃった」 さやかは手前に大きく引いたレバーを戻した。動力が入っていたらアフロダイAは前に大きくつんのめっていた。 「これは、おしゃべりが過ぎましたわい」 「博士が話していたからじゃありませんわ。えっと。やだ、あたし、ど忘れ。これは地質調査の基本なのに。こっちじゃなくて…」 さやかは冷房が効いたコクピットでうっすら汗ばんでいる。 シローは炎天下で汗だくだ。 水の入ったバケツを手に、芝生を目指して歩いている。太陽がぎらつく空は見上げる気にもならず、もっぱらバケツの水の揺れに目を配る。 研究所の建物とマジンガーZのプールの間に広がる芝生も、ほこりっぽくて緑が冴えない。 「ずっと水不足で、一日一回水を撒くか撒かないかだからなあ」 芝生を潤すスプリンクラーの散水は目にも涼しい。暑い季節、風に吹き流されたスプリンクラーの水滴をぱらぱら浴びるのも、シローは好きだ。だが渇水のおかげで近頃はこの楽しみにもほとんど遭遇しない。 「せーのっ」 バケツの水をぶちまけた。芝生の一角がささやかに青味を取り戻すが、またすぐに干上がりそうだ。シローは肌が痛いほどの日光に追われて格納庫の中に逃げ帰った。 くぐり戸を閉めたら頭上の照明がぱっと消えた。甲児が制御室のスイッチを切ったのだろう。天井近くの半透明の窓から入る外光だけになった。明かりのない制御室で、マイクに向かう甲児の姿が見える。 「弓先生と話しているのかな」 さっき兄が言っていた。 「この修理が終わったら、先生に格納庫を使わせてもらったお礼を言わないとな。昨日、おまえがお世話かけたお礼もだ」 シローは愛車の荷台にサイドバッグを取りつけて、二度三度サドルをなでた。思わず口元がほころぶ。 「よかった。これで元通りだ」 ほっとした。とたんに格納庫内の蒸し暑さが身にしみてくる。制御室の甲児はちらともシローを見ないで、ずっとマイクに向かって話し込んでいる。 「長いなあ、お礼だけなのに。暑いところに長居は無用って言ったのは、自分じゃないか」 シローは格納庫から研究室に続く扉を恨めしげに眺める。どこか研究室にもぐりこめば涼ませてもらえるが、お遊びの出入りに兄は厳しい。シローは制御室への鉄階段を昇り、踊り場から声を張り上げた。 「兄貴、こっちは終わったよ」 続けて、「サイドバッグつけたし、バケツも空気入れも片づけたから、いつでも帰れるよ」とどなろうとしたら甲児の声が聞こえてきた。 「緊急地震対策委員会ですか。そういや、ここんとこ小さな地震が多いですね」 応答するスピーカーの声は弓教授らしいが、話の内容はシローには届かない。 「これじゃ当分かかりそうだ」 小声でぼやき、鉄階段をおりる。数メートル先のアフロダイAのなめらかな脚に自分の姿が映った。ピンクにオレンジと柔らかい配色ながら、超合金Zは何物にも傷つけられない重厚な艶がある。屋外でマジンガーZと並べば細身でも、格納庫の中で見上げればその重量感、存在感はなかなか迫力だ。 「大きいよなあ」 塑像のように静かにたたずんでいるが、コクピットの中では作業が続いているらしい。 「そうか、アフロダイAの中は冷房がきいているよね」 シローは自分の思いつきに「そうだよ」と、両のこぶしをぐっと握った。 「あそこなら、おにいちゃんが帰ってきても、すぐわかるしさ」 小走りで格納庫内のリフトに乗り込み、五階の連絡路に直行する。制御室の甲児を見おろして連絡路を渡った。後頭部の赤いハッチを持ち上げる。 「ついてる。ロックされていない。ぼくは日頃の行いが良いもんね」 コクピットから流れて来る冷気に誘われるようにシローがするっと滑り込む。 アフロダイAの計器盤のハッチ開口ランプが点灯し、せわし博士がふり返った。 「おや、シローくん」 操縦席からさやかも顔をのぞかせる。 「あら、どうしたの」 「自転車の修理していたんだ」 「おお、そうか、昨日は大変だったね。いやいや、ケガがなくてなによりじゃ」 「さやかさんのおかげだよ」 シローが「えへ」と笑うと、さやかも「うふ」と笑う。 「それで、ずっと格納庫の中にいたから汗びっしょりなんだ。少し涼ませてもらえないかなあ。おにいちゃんが制御室に行ったきり戻って来ないから、ぼくは蒸し風呂みたいな格納庫に置いてきぼりでさ」 言葉は遠慮がちだが、すでにちゃっかり操縦席の真後ろにある空調の送風口の下に立っている。 「涼むくらい、かまいませんよ」 「せわし博士、ありがとう。ああ、涼しい」 シローはTシャツのえりぐりを広げ、背中にもお腹にも冷たい風を流し込む。せわし博士もニコニコ顔で、シローくん登場と時間のメモに追記した。 「でも、おにいちゃんに仕事の邪魔するなって怒られるかもしれないなあ」 「それでは、シローくん」 せわし博士が計器盤に立てかけたバインダーに腕を伸ばす。もののわかった笑顔だ。 「この書類を順番に並べてくれますかな。お手伝いです」 「お手伝い、ぼくが、せわし博士の」 バインダーを受け取って、シローもにっこり笑い返す。 「右上に書いてある番号の順番でいいの」 「そうです。まちがえないように頼みますぞ」 「大丈夫、まかせて」 十枚足らずの書類ならまちがえようもない。一分とたたずお手伝いは終わったが、せわし博士の催促はない。シローはそのまま空調の下でバインダーを団扇がわりに冷房を満喫する。 「シローちゃん、それでパンクは直ったの」 さやかも気楽にしゃべりかける。 「うん、ばっちり。もう、いつでも乗って帰れるよ」 「よかったわね」 さやかが心電図のコードを踏まないように操縦席から立ちあがった。計器盤に腕をついて身を乗り出し、一階のサイクリング車を見おろす。シローが目を見張った。 「さやかさん、どうしたの」 「ん、このコード? 今、測定中なのよ」 さやかがふり向いて、自分の身体から伸びるコードの先にあるモニターを指差す。 「でも、そんなに神経質にならなくていいのよ。予定の基本シミュレーションは終わったから」 「違うよ。おにいちゃんのガードスーツ着て…」 はっと、さやかの顔色が変わる。 「え、ちょっと」 思わず胸の前に腕をはすかいに寄せて、赤いガードスーツを隠した。どきまぎするさやかに気づいているのか、いないのか、せわし博士がにこやかに説明する。 「超合金Z繊維が、お嬢さんの身体にどの程度負担をかけるか測定しているんじゃよ」 「おにいちゃんとさやかさんは、背も違うのに…」 「戦闘に使えなくなった古いガードスーツを、われわれが大急ぎで縫い縮めて、さよう、リサイクルです」 「ふうん」 シローが無邪気に、しかし遠慮なく頭から爪先までさやかを見る。 「似合うよ、さやかさん」 「そ、そう?」 「うん、とっても似合ってる」 お世辞抜きの笑顔に、さやかも幾分ほっとする。 「でも、甲児くんには内緒にしておいて」 「うん、いいよ。さやかさんの頼みなら…」 シローの返事が終わる前に計器盤の開口ランプが点灯した。 「おい、シロー。帰るぞ」 甲児の声にさやかは隠れるように操縦席に座る。 「おにいちゃん。ぼくがここにいるって、よくわかったね」 「リフト使えばわかるに決まってるだろ。仕事の邪魔するんじゃない」 ね、予想どおりでしょとシローの目が、せわし博士に笑いかける。 「邪魔してないよ。せわし博士のお手伝いしてたんだ」 「手伝い? おまえが? 調子良いこと言うな」 「嘘じゃないよ。ほら」 今まで団扇にしていたバインダーを甲児の鼻先につきつけた。 「ほらって、なんだよ、これ。胸囲80、胴囲59、腰囲83…」 「大声でなにを読みあげてるのっ」 口より早くさやかの手が出た。 「痛ってえ、いきなり」 甲児が頬を押さえた。見る見る赤く腫れてゆく。 「ってことは、これ。おい、シロー」 弟の手からバインダーを取り上げ、じっくり見直す。 「へえぇ、80か」 「へえぇ、じゃないわよっ」 さやかがバインダーをひったくり、ついでにバシンと甲児の頭に叩きつけた。 「この、じゃじゃ馬」 憎まれ口を叩きながらも、視線はさやかの胸元に行く。 「あれ? おれのガードスーツ」 甲児が珍しそうにさやかを眺める。 「あ」 アフロダイAのコクピットに、さやかの悲鳴が響き渡った。 後日、せわし博士が語ったところによると、この時のさやかの心拍数は機械獣に遭遇した際の数値に匹敵したという。 |
格納庫に向かうさやかとせわし博士、窓の外には富士山(画 あさみぃ氏) (2006.07.16 本文 UP / 07.24 あさみぃさんのイラスト追加) |