フラジオレット

フラジオレット(英 flageolet, 伊 flagioletto)
(1) フルート属の木管楽器の一つ。縦笛式で、菅の背面に二つ、全面に四つの指孔を持ち、主に17〜19世紀に使用された。
(2) 弦楽器の特殊な奏法によって得られる笛のような柔らかい音色。ハーモニックス。

小学館 日本國語大辞典 第9巻より


1, つむじ風


 ウルリーケは衣裳持ちだ。祖父母がなにかにつけて、彼女のものをあつらえたがる。 夜会服に限らずコート、帽子、はては馬車から馬まで「あの子に似合いそう」と言っては16歳の孫娘に買い与える。 だから、ろくに袖も通さないうちに小さくなってしまった夜会服が山のようにあった。
 ウルリーケの祖母、メーリンク子爵夫人は、冬から早春への季節の変わり目は、持ち前の神経痛に憂鬱な日々を過ごす。 けれど、5月も半ば、ベルリンにも遅い春が到来し、郊外のメーリンク邸の庭園に草花が顔を出す頃には、その愁眉が開かれる。
 そして、今年、1907年はとりわけて張り合いに満ちた春になった。 愛娘マレーネの忘れ形見の少年を、この屋敷に迎えたからだ。
 欧州の淡い春の日差しを集めて細く細く撚(よ)り合わせたような孫の金髪を見るたびに、まぶしそうに目をしばたいている。 “メーリンク家の春風”と呼ばれながら遠い異国で夭折した娘が、春風に乗せて自分の分身を送り込んでくれたのだと何度涙ぐんだことだろう。
 東洋人の血を引きながらマレーネに生き写しの少年、摩利・コンラートにとっても母の生家訪問は念願かなってのことだった。 娘時代そのままになっている亡母の部屋ではものも言えず立ち尽くした。
―― この敷物の上にかあさまも立った。この寝台も、この机も、かあさまの手が触れたもの…。

 館をとりまく木々は、悲喜こもごものメーリンク一族の歴史を見続けながら、新しい若葉を今年も芽吹かせている。 穏やかな春の午後、ドイツ各地はもとより、オーストリア、フランスなど各国から疎親の一族が集う茶話会が開かれようとしていた。 溺愛する孫を一族に引き合わせるために、メーリンク夫人が久しぶりに主催する会だった。 もっとも、当主であるメーリンク子爵は、あくまで出席を拒んで別荘に出かけてしまったが。

 「胸が大きく開いているのはいくらなんでも無理よね。この白いのはどう? 襟元のレースが豪華でしょう?」
「靴はこっち、かかとの低い方がいい」
「そのほうが楽ね、逃げ出すことを考えても。じゃあ下着から。後ろ向いて、留めてあげるから」
「え? 下着も?」
「だって、スカートがふくらまないわ」
「あ、くすぐったい」
「はい、最後にかつらね」
 大人から見ると“よからぬたくらみ”をしている時の子供の声は、実に生き生きして屈託がない。 教えられたわけでもないのに創意工夫の才能を一番発揮する時だ。 支度を終えて、着飾った親族の話し声でさざめいている客間にすべりこむ。
 使用人たちは、大奥様主催の集まりに気を取られて、納戸の片隅に引きこもっているウルリーケたちに気づかなかった。 ウルリーケの両親も、久しぶりに顔を合わせる親戚相手の挨拶に追われている。 幼児でもあるまいし、親族が集まっての茶話会で大人の手を焼かせる年でもなければ、親の目もうるさくはないだろう。 万事、予想通りだ。
 “病弱で長年、田舎で静養していた妹”という触れ込みは、日頃の付き合いが疎遠な親戚ではあっても、冷静になれば見え透いている。 だが、それを大人たちが信じ込むほど、摩利とウルリーケはよく似ていた。
 たくらみが予想以上に成功して調子付き、逃げ出すタイミングを失ったのが唯一の誤算だった。 叔父から伯母へ、従姉から甥へと話が広がるままに、ウルリーケは自分の両親に“妹”を紹介する羽目になった。
 かくして、13歳の摩利・コンラートは、メーリンク一族に、イタリアン・レースの襟飾りも豪華な白いドレスで華々しいデビューを飾った。
 爾来、ウルリーケの“つむじ風”の評価は不動のものとなった。 が、13歳の摩利には、つむじ風というドイツ語は聞き取れなかった。

 ベルリンからパリまでの軌道は、いくつの山を越え、いくつの川を渡るだろう。 思音は摩利を連れての長旅なので、途中のフランクフルトで一泊して列車を乗り継いだ。 ベルリンではしゃぎすぎたのか、摩利は車中では終始まどろんでいた。 思音にもたれていると車輪が枕木を踏む振動が思音の鼓動のように感じられる。 何時間も父に寄り添っていられるのは、物心ついて初めてだった。 このときばかりと、日がな列車に揺られるのも苦にもない摩利だった。
 列車が鉄橋を渡る轟音でぼんやりと意識が戻る。 薄く目を開けると、向かいの席でアグネスが、特等コンパートメントの分厚いクッションから身を乗り出して後方に流れてゆくドイツ河岸の景色を惜しんでいる。 列車の振動に合わせて細い肩の上で縦ロールが小刻みにゆれる。白っぽい金髪だ。
 「もう、フランスね」
彼女が誰にともなくドイツ語でつぶやく。
 車窓の外に彼女の視線を追いながら、思音は体を預ける摩利のぬくもりを楽しんでいる。
「ベルリンではお話する機会がなかったので気づかなかったのですが、実に…」
一瞬、言いよどんだ思音の声に振り向きながらアグネスが微笑む。
「ええ、私の声は、マレーネによく似ているそうですわ。 小さい頃、メーリンクの祖父に聖書を読み聞かせるのは、私の役目でしたのよ」
「ウルリーケの瓜二つぶりも驚きましたが、あなたの声にも驚きました」
「あら、摩利こそマレーネに生き写しだと皆が言っていましたわ。 私は小さい頃、何度か遊んでもらったくらいなので、マレーネのことはよく覚えていないのですけれど」
 摩利は、アグネスの言葉につられて思音が自分を見下ろす視線を感じながら、幼い姪をあやす娘時代の母を思い描く。
「それにしても、ウルリーケはどこであんなかつらを見つけてきたのかしら。自分の妹とはいえ、あの子のつむじ風には…」
ウルリーケと摩利の“姉妹ごっこ”を思い出すとアグネスも思音も、笑いをこらえきれない。

 後年、ウルリーケが新吾に「メーリンクのおじいさまには男の子が3人いるけれどみんな養子なの。 わたくしの父もね」と語っているが、アグネスとウルリーケの父は、メーリンク子爵の実の従弟 ― 年は親子ほどにも離れているが ― だった。
 さらにウルリーケたちの母は、祖母・メーリンク夫人の実家の出で、正確には夫婦両養子 ― 財産管理のための方策としては、そう珍しいことでもない ― である。 この両養子の縁組は、父祖伝来の資産を散逸させずに相続させるためとして、一族の合意の上で決められた。
 ウルリーケにしてみれば、養親である祖父母に気兼ねの絶えない両親を、時として歯がゆく感じるのも事実だ。 しかし、祖父母は自分や姉にはいつも優しいし、気前がよい。 実際、メーリンク子爵の政治家としての基盤を受け継ぐために迎えられた他の養子の子供たちより、アグネスとウルリーケにメーリンク子爵夫妻が甘い顔をするのは誰の目にも明らかだった。

 規則正しい列車の轍の音を背景に、パリの日常生活のこと、音楽のこと、夏のバカンスのこと、アグネスと思音の会話が続いている。
 「マレーネかあさまが生きていたら、いつもとうさまとこんな風に話をしていたのかもしれないな」
なごやかな2人のドイツ語の会話を聞きながら、摩利はぼんやりと考える。 やがて、いつの間にかまた寝入っていた。
 初夏に向かう季節に列車はパリを目指す。そこには思音もアグネスもフランス語で話をする日常生活が待っている。

(2001.2.23 up)



(2)、梅雨のない6月

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