◆◆ コンサートレビュー 24 ◆◆ |
大野、バ−ミンガム市交響楽団の「復活」で大成功 サカリ・オラモ急病による危機を救う 2011年 5月18日(マーラーの命日) バーミンガム・シンフォニーホール |
The Art Desk
デイヴィッド・ニースによる公演批評(抄) 大野和士は、厳格なリズムと後期ロマン派的な表現のバランスが、見る歓びを与えてくれる指揮者だ。 グスタフ・マーラーは、彼の妻アルマの回顧録によると、1911年5月18日の真夜中に死んだ。 神秘的なものに関心のある人なら、0時00分(細部にこだわれば、死亡時刻は23時05分であったけれども)と、 この死後100周年記念公演をキャンセルしたサカリ・オラモ(OramO)の代役が大野和士(OnO)、という事実の間に不気味な関連を見出すかもしれない。 しかし、このたびの指揮者の交代がこれほど喜ばしい結果をもたらすとは − これはもう忘我の心地というに近い ー なぜなら、このマーラーの第2交響曲、もし完璧に上演されればなお傑作と呼ぶにふさわしい、 内面的な瞑想よりも生と死にまつわる劇的な祝典である「復活」が、最高の指揮者によって完璧にコントロールされたからである。 日本人の指揮者は、見る歓びを与えてくれる。 彼の演奏に耳を傾けるならば、演奏者の精神を導くというよりは、彼らのより強烈な(そうあるべき)パッションを引き出す、彼の指揮テクニックの中に、すべてを見出すことができる。 私がコンサートホールで聞いた中では、ほかに唯一偽りなく強烈な「復活」を振ったウラディミール・ユロフスキと同様、 大野は厳格なリズムを、マーラーにあるべき根源的な要素である高雅な統制へと昇華させるだけの明晰さを持ち合わせている。 英雄の葬列から追想を経て、遥かな行く末へと想いをはせるマーラーの旅路を、指揮者がどのように描いて見せるかが如実にわかる最初の小節から、大野の厳格さは明らかだった。(中略) 輝かしい舞台上に並ぶホルンに応えて、ホールの四面からの終章のラッパが畏敬の念をもって鳴り響いたそのとき、大野は私たちをより高い地平へと導いたのであった。 ベルリン・フィルとのラトルの第3番や、ベルリンでの最近のものと比較されるバーミンガム市響との流れのよりましな録音である「復活」あたりの微細画が陥りやすい淀みと、 大野和士の描く雄大な絵図とでは、あらゆる面で隔たりがある。 (以下略) |
(2011.05.22 up) |