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新国立劇場「ワルキューレ」上演に当たって
(その1)

大野和士さんは、2021年3月新国立劇場「ワルキューレ」を音楽監督として指揮する。
これを機に、コロナ禍における上演の工夫や、音楽活動について語っていただきました。
(全2回)
(インタビュー・構成:堀江信夫、2021.3.5 skypeにて)


【伝統のミュンヘン仕込みのワルキューレ】

大野さんにとって「ワルキューレ」という作品は?

大野和士
 若いころに、サヴァリッシュ先生、リヒャルト・トリムボルン先生(バイエルン州立歌劇場でStudienleiterとしてサヴァリッシュの片腕だった)に叩き込まれた作品です。
 二期会(1996年)、カールスルーエでも指揮しましたが、久しぶりに上演できるのは、とても楽しみです。


ドイツ・カールスーエ州立歌劇場のGMD(音楽総監督)として、「ニーベルングの指輪」チクルスも指揮されています。

大野和士
 「ワルキューレ」も3回上演しました。演奏会形式でも、九州交響楽団と第1幕を(2013年)、東京都響と第3幕第3場を(2018年)取り上げています。


【いいとこどり のジークムント】


新型コロナウイルス感染の拡大により、予定していた歌手たちが来日できなくなり、キャストが大幅に変更になりました。その中で注目されるのは、ジークムント役を幕ごとに違う2人が演じることです。

大野和士
 この作品の中で、第1幕と第2幕とでは、ジークムントに要求される性格、声の質が違います。
 第1幕では「冬の嵐の日は過ぎ去り」に代表されるように、繊細でリリックな、しかも長いフレーズを歌える声が必要とされます。
 これに対して第2幕では、第4場でブリュンヒルデと対峙し死と直面する故に、低音から中音の響きが充実した暗い音色の声、そして最後はブリュンヒルデを圧倒するようなドラマティックな声が必要。
 この両方を一人で兼ね備えた歌手というのは、世界でも決して多くはありません。
 日本では、この役をレパートリーとして持ち経験を積んでいる歌手はなかなか見つけることができませんので、 私の中にすぐ浮かんだのは、この短期間で第1幕と第2幕で異なる歌手をこの役に育て上げる、ということでした。



それにしても、ジークムントはワグナーの作品のヘルデンテノールの代表のようなキャラクター、それをベルカントのイメージの強い村上敏明さんが歌うとは。

大野和士
 ヨーロッパでは史上最高のジークムント歌いは、ヴィントガッセンだったと言われています。彼はベルカント・オペラもリートも得意としていました。
 第1幕はジークリンデとの薄幸同士の掛け合いから始まり、やがて二人の出生の秘密が明からかになり、儚くも夢に満ちた一瞬が充満する過程に全てがかかっていると言えます。
そこでの詩情、抒情性、若い二人の純愛を表現する歌手として、村上さんのベルカントは欠かせないと考えました。

ヴィントガッセンはイタリアのベルカント・オペラの録音もたくさんあります(ドイツ語歌唱が多い)。村上さんは「日本のヴィントガッセン」ですか。

大野和士
 その通り!

村上さんは、ドイツものは初めてではないのですか。

大野和士
 村上さんにジークムント役を打診した時は、初日まで1か月という時間しかありませんでした。
 今までイタリアものが中心だった村上さんですが、すでに3月5日から始まった立ち稽古では、すべて暗譜してきました。これは驚くべきことです。
 こんな大きな役を初役で演じる場合、ドイツ人でも1年くらいかけて覚えます。村上さんは、今までのキャリアの中でも様々な困難を乗り越えてきたこととは思いますが、これぞ真のプロフェッショナルです。


これに対して第2幕の秋谷さんは、ワグナー作品の出演経験もあります。

大野和士
 秋谷さんは、元々バリトンから出発し、プロになる過程でテナーに転向しておられます。
 テノール歌手にこのフレーズを「バリトナートに」と言うと、中低域の充実した声を持っている人はあたかもバリトンのように朗々と歌い出します。
 
 第2幕のジークムントは、ジークリンデとの逃避行で疲れ、打ちのめされている。
 そこに神々しいブリュンヒルでが訪れ、死を悟ったジークムントは“バリトナート”の深く暗い声でブリュンヒルデと対話を始めます。
 しかし、ジークリンデを連れていくことが許されないと知り、ブリュンヒルデについて行くことを拒否する。
 それが第2幕第4場の有名なセリフ“zu ihnen folg' ich dir nicht!“ という部分です。
 
 それまでの淡々とした口調は一気に激昂し、愛する女性を自分一人の手で守る意思をブリュンヒルデの前で激白します。
 ブリュンヒルデの驚きはいかばかりであったでしょう。 今まで栄光の戦士として、ヴォータンのヴァルハラ城に召されることを拒否する人間にお目にかかったことはなかったからです。
 動揺するブリュンヒルデと、ここで力関係が逆転する。人間の愛の力が神々を超える、という「指輪」の転換点です。

そうした劇的な意味での最高潮を表現できる声なのですね。

大野和士
 第1幕、第2幕それぞれを、今の日本人の中で最高の2人で聴けることになりました。

「いいとこどり」が図らずも実現したわけですね!


【アルフォンス・アッバス版をもとにした管弦楽編成】

もうひとつの大きな変更が、「アルフォンス・アッバスによる管弦楽縮小版」による演奏という点です。曲の長さが変わるわけではなく、どういう「縮小」なのですか。

大野和士
 アルフォンス・アッバス(Alfons Abbas, 1854-1924)という人は、コーブルク歌劇場のGMDでした。
 ドイツの中小の劇場では、オーケストラピットにワグナーの管弦楽編成は入りきらないことが多いので、よく使われてきました。
 最近では2017年にアン・デア・ウィーン劇場(魔笛の初演で有名)での「指輪」チクルスで上演されています。
 オーケストラピット内の楽員の間隔を確保するため、この版を使うことにしました。

長い歴史を持つ、由緒ある版だったのですか。調べてみると「パルジファル」も編曲しています。

大野和士
 アッバス版は2管編成が基本です。いちばん大きな違いは4本のワグナー・チューバがないことでしょう。
 そこで今回は、アッバス版に多くの楽器を重ねています。
 例えば、第2幕のブリュンヒルデ登場のシーンでは、アッバス版ではワグナー・チューバのパートを木管が演奏しますが、ホルンやファゴットの低い音で補強しました。
 単に一聴しただけでは、どこがどのようにオリジナルと違うのかが、なかなかわからないと思いますよ。


その「間違い探し」は難易度が高い!


【新国立劇場「ワルキューレ」を聞きに来てくださるお客様へ】

大野和士
 ワルキューレ」は、「指輪」の一部というのではなく、ひとつの独立した作品として鑑賞できます。
 単なる神話の遠い世界ということではなく、とても人間的で身勝手な神様たちの相克、 それが原因でまた苦しむ人間たち、いわば “人間的なあまりにも人間的な“ ドラマです。
 緊急事態宣言に伴う制限で、定員の50%しか入場できませんが、こういう状況下にもかかわらず来ていただいた皆様のために、 新国立劇場は最高の音楽をお聞かせするために万全を期したいと思います。