忍ぶれど 蓉姫(ようひめ)〜〜摩利は蓉姫に会ったのか?〜〜 |
この2ヶ月の間でも、何回か掲示板で話題になりましたので、私が個人的に思うところをお話しいたしましょう。 “思うところ”と大仰に構えてはみたものの、実は『忍ぶれど』全体の雰囲気から、私は何の疑問も持たずに、あのおばあさまは蓉姫だと思っていました。 でも、改めて細かいところを見ても、DOZIさまも、そのように思いを込めて描いていらっしゃるような気がします。 |
たとえば、おばあさまの年齢 『忍ぶれど』は摩利と新吾が持堂院高校2年生の3月の物語なので、時代は『花の桜豪寮生名簿』と同じく明治45年。 そして、おばあさまは65歳。(註1) また、戊辰戦争で全滅した幕府軍にいた恋人を想い続けて、以来一人で生きてきた人生を持堂院の面々に語る中で、「あのころ わたしは はたち そこそこ」とも言ってます。(註2) 歴史の上では『天まであがれ!』にも明記されているとおり、明治2年5月五稜郭 陥落による函館戦争の終結をもって戊辰戦争が終わったとされます。 これらから逆算すると、明治2年はおばあさまが22歳くらいの頃のこと。 ちゃんとつじつまが合います。 (註1) 白泉社文庫2,P330、花とゆめコミックス4,P176、角川全集16, P290 |
松平 姓 など おばあさまは広いお庭、うらには畑があるくらいのお屋敷に一人住まい。 掲げている表札は「茶道華道師範 松平」。 明治の御一新で四民平等が唱えられて、平民が苗字を名乗るようになったとは言え、旧将軍家ゆかりの「松平」は庶民に許される姓ではありません。 おばあさまは当然、いづれかの松平さま御縁故すじの方ということになります。 となると、ごく自然に「会津藩主 松平侯のめいにあたる蓉姫」を連想します。 |
そんな表札をあげていても、おばあさまは、茶道や華道を、生活の糧を得るためと言うより、一人暮らしの慰めに、若いお嬢さん方に教えている風情。 ふと、思いを巡らすと、蓉姫も、土方さんを雛の茶会に招くくらいにお茶をたしなんでいました。 摩利や新吾に、おいしいお茶やたき火での焼き芋をごちそうして、或いは、大挙して押しかけた大食漢の高校生たちに、嬉しそうにお汁粉を振る舞っているおばあさま。 そこには、剣道ばかりではなく、土方さんの側に居たい一心でお姫様生活を捨ててからというもの、お台所仕事から負傷者の手当てまで、何でも身に付ける努力をした蓉姫の姿が重なります。 |
でも、結局はロマンだけです フィリップを心の支えに生きてきた女性が、フィリップの心の支えになって、その心の中に生き続けてゆく・・・。 DOZIさまワールドに浸ってしまっている私は、このロマンだけで充分。 他に小賢しい理由なんて要らない!って言うのが本音です。 転生神話よろしく、このフィリップ・ロマンがあるからこそ摩利だけにおばあさまの若かりし日の面影が見えたのだと、私は信じています。 |
【ネタバレの追記】 あれこれ状況証拠を並べていい加減な憶測をしなくても、きっぱりと「おばあさま=蓉姫」と断定できる資料がありました。 『摩利と新吾』完結記念に出版された『しまりんご・スペシャル』の“キャラクター名鑑”のコーナー(P80)で、おばあさまがこんなふうに紹介されています。 やはり、DOZIさまは、“その後の蓉姫”をしまりんごに登場させていらしたわけですね。 (『しまりんご・スペシャル』については、書籍資料(1)をご参照下さいませ) (1999.7.10 up / 2001.12.25 追記)
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