竹薮みさえ氏ことおねいさまの登場です。

 DOZI様が12年がかりで描き上げた『夢の碑』(ゆめのいしぶみ)シリーズの包括的考察という大胆な試みです。
 『夢の碑』のテーマである無限の時間の流れ、みさえ氏はその流れに人間を引き止める重要な絆として親と子のつながり、先祖と子孫のつながりを通観したうえで、個々人の足元という視点に還っています。
 『夢の碑』ばかりでなく、『摩利と新吾』『アンジェリク』などなつかしい作品を読む時、こんな視点もありということで。



夢の碑はまさに未知への痕跡である。

 わたしたちの日々の暮らしには未知が多くある。
 通常わたしたちは自分の希望を正しくイメージすることは出来ない。つまり、わたしたちは現状のアンチとしてしか、 希望を描かないということだ。
 真になにをのぞんでいるのか、わたしたちは知らない。 ただ漠然と不満・不安をもち、現状に拘束されているがゆえに、実現可能な、すなわち、贋(にせ)の希望を描く。
 たとえば、わずかな金、ささやかな家。 わたしたちの人生は宝くじのコマーシャルではないが、「三億円あれば大抵のことはかたがつく」のだ。
 それはわたしたちが鈍感で無知であることの証明にすぎない。
 しかし、無知で鈍感だからといって、わたしたちがさらに遠くへ歩みをすすめることが出来ないということではないのだ。 わたしたちは大いなる時間を歩んできた。 間違いも犯すが、善なることも理解する。(まさに縞りんごのように)


羽の生えた靴を履いて
輪っかの向こうに狩に出たふたり 輪っか付きの
りんご型のお星様
縞りんご星部分拡大図
 皆様もご存知の『摩利と新吾』。  主人公ふたりの名前をあわせて“縞りんご”と呼ぶことも。

Cheeish Gallery 自選複製原画集2 『摩利と新吾』より

 ただ、この21世紀はいままでのどんな時代とも違う。
 わたしたちの生活は安楽になった。 かつてのささやかな希望は、すでに現実となっている。 もはや贋であれ、描く夢が痩せ細ってきているのだ。
 これほど希望が未知であったことはないだろう。 わたしたちは何を望んでいるのだろうか。


 芸術家は、完全なる創造である。
 すなわち、わたしたちが通常見ることのできないものを描く。 アポロが昼の世界、すなわち日常的現実を秩序づける神に対して、芸術の神・ディオニソスは夜を、すなわち現実をこえる幻想を司る神である。
 作品はどんなものであれ、希望をしめす。 その作品によって、わたしたちは日常をぬけだし、未来へと異化する。
 わたしたちは作品によって初めて知るのだ。 自分が何を望んでいるのかを。
 少女が魔女にあこがれ、少年が変身と叫ぶのは、大人になるよりもずっと遠くを見る眼差しを失っていないからである。 子ども達が桃太郎よりも鬼に共感するとしたら、それは現状を支える大人達がちっぽけであることを見通しているからである。


 鬼もまた同様である。
 鬼は虐げられてはいても、人間の大人よりははるかに本源的であることを、子ども達は知っているのだ。

 遠い昔、人と鬼は共に地上に在った。 昼の光と夜の闇、アポロとディオニソスのように。
 そして、人びとはその両方を行き来することを生活習慣のなかにもっていた。 その通路を守る番人が巫女であったろうし、渡し舟の船頭が河原者(かわらもの=江戸時代の歌舞伎役者、その他の遊芸人の蔑称)たちであったろう。
 日常に疲れたわたしたちは、祭りを催し、したたか酔って、歌舞に興じ、巫女の力に酔って異界へ通った。 そこには生きる力の根源が在り、その力を得て日常は活性化してきたはずだ。
 暗闇祭りのなかで若き男女は共同体の倫理を越えて愛を交わし、明日に望みをつなぐ。 寒い冬の暗い夜、囲炉裏端のちろちろ燃える炎の影を頬に落として婆が鬼をかたる。 子供らはその鬼達がわたしたちヒトとおなじ哀しみをもつことを肌で感じるのだ。
『渕となりぬ』の主役・羽角
(木原先生に頂いた絵葉書)

 鬼はわたしたちの哀しみが形になったものである。 したがって、望みをはたした桃太郎よりは、鬼の方が遥かに大きな希望を描いていたのだ。
 桃太郎をもってしても叶わなかった希望。 それこそが未来であり、神の描くヒトのユートピアかもしれぬではないか。

 こどもは鬼に共感し、そしてこの世とは別の世界があることを魂で学ぶ。
 しかし、われらが近代は、見えない世界を否定した。
 当然の結果として、わたしたちは本源を夢見る力を失ってしまった。 わたしたちは自分の希望さえも語れない。 希望を語れない人間の魂など考えたくもないが。
 無念がわたしたちに教える。 贋の希望の空しさを。
 無念がわたしたちに示す。 人間の本源的あり方を。


 わたしたちは「夢の碑」を辿(たど)らねばならない。 わたしたちの未来の羅針盤として。
 羽角(はすみ)や映宮(はゆるのみや)の無念がわたしたち自身の無念と通底する時、わたしたちは自分の希望のイメージをとりもどす。
『雪紅皇子』の主役・映宮
小学館文庫『雪紅皇子』より
 それは未来への展望となり、歴史の歯車、運命の輪がひとつ回る。 彼らの希望はわたしたちの希望であり、ヒトの希望なのだ。

 木原敏江氏の仕事は近代が見失ったヒトとしての希望を歴史の水脈の中から掘り起こす作業であると言えないだろうか。
 「摩利と新吾」しかり「アンジェリク」しかり。 その際たるものが「夢の碑」なのである。
 まさに芸術の為せる技である。

 さて、有史以来連綿と続く終わりなき日常、その隙間に羽角映宮の涙のやどる歴史的瞬間。 過去から未来へと続くそのような思いの宿る瞬間に気づくことのできる私であるか。 自分に問わずにいられない。
 DOZI様助けてお願い。



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 皆様はもう『夢の碑』をお読みになったでしょうか?  『夢の碑』といわれてピンとこなくても、『雪紅皇子』(ゆきくれないのみこ)とか、『鵺』(ぬえ)とシリーズ中の作品名を聞いたことはあると言う方もあろうかと思います。

 拙サイト書籍資料で、私はこのシリーズを「人間と、鬼と呼ばれるような異形(いぎょう)・人外のもの、そして、人間と異形の狭間に生まれあわせてしまった者たちが、留まることの出来ない時間の流れの中で刻んでゆくドラマの数々です。」と紹介しました。 個別作品ごとのご紹介は資料ページをご参照頂ければと思います。


 というわけで、みさえ氏のレポートですが、「鬼」が非日常に追いやられている今日の私たちを憂い、「鬼」が日常に共存していた時代を綴るDOZI作品に深い共感を綴っています。 このへんはお読みいただけば自明ですが、蛇足を承知で“用語の説明”をいたしましょう。
ドイツの貴族の血を引くお姫様に化けた摩利、
当分、夢に見そうだと夢殿さんがぞわぞわ
『摩利と新吾』 “忍ぶれど”より

 まずは、縞りんごです。
 DOZI作品大好き、『摩利と新吾』シリーズ、だああい好き!と言う方には今更ご説明の必要もない言葉ですけれど。
 シリーズvol.9の『忍ぶれど』で、新吾と摩利が仮装パーティー?に出席する羽目になった時、「縞くん」「りんごさん」と呼ばれて以来のネーミングです。
 風魔教授も気に入っていたりするもので、御神酒徳利とならんでふたりの通称になってしまいました。

 次に、アポロディオニソス
 ギリシア神話で、アポロは太陽や芸術の神、ディオニソス(バッカス)は酒の神とは皆様ご存知のとおりです。
 アポロが双子の妹、月の女神ダイアナとの対になるのは良くある話ですが、男神のペアなどとむくつけきたとえは何ゆえとお思いの方もあろうかと…。
 いえ、ディオニソスはとにかく、ギリシア神話きっての美形のひとりアポロに“むくつけき”は失礼でしょうか。
 でも、美青年なのに、どうしたことかアポロにはハッピーエンドより、実らない恋のお話のほうが多いような気が…。 相手が女性でも美少年でも。まあ、アポロも腹立ちまぎれに復讐してみたりもするし。

 ついつい話がそれました。
 アポロとディオニソスのペアを提唱したのはニーチェです。
 ニーチェは、芸術の傾向の分類して、理知的、静観的、調和のとれた統一、端正な秩序を目ざすものをアポロ的、それに対して激情的、破壊的、陶酔的なものをディオニソス的と表現しました。 (って、すっごく大雑把な紹介ですが)
 その延長上の比喩として、みさえ氏は両者を光・可視の世界と、闇・不可視の世界の象徴として表現しています。


 そして、羽角(はすみ)映宮(はゆるのみや)
 それぞれ『渕となりぬ』『雪紅皇子』(ゆきくれないのみこ)で、おかれた時代と立場をしっかり受け止めた生き様をご覧頂くのが一番ですが、拙サイトの「DOZIさまのメッセージ」のコーナーに掲載しているインタビューでは、木原先生ご自身が彼らのことについてお話し下さっています。 こちらも是非とも、ご一読くださいませ。
(羽角については2001年7月その1、映宮については2001年9月その1)


 みさえ氏同様、私も、歴史の中から、「この国の懐かしい美しい古事(ふるごと)のかけらを拾い集めて碑に記そう」としていらっしゃるDOZIさまのお心が、単なる懐古趣味だとは決して考えられません。
 DOZIさまは、今生きて歴史を刻んでいる私たちの世代、その私たちから手渡しで歴史を受け継ぐ世代、そしてさらにもっと遠い先の未来まで見据えて、作品に憂いと希望をこめていらっしゃるのではないでしょうか。

 未来への視点ということで、私のコメントの締めくくりに、今回はDOZIさまが『夢の碑』で綴った上記のメッセージと並んで私が大好きなフレーズをご紹介したいと思います。 同じマンガというメディアを通して未来への希望を語る松本零士先生が、しばしば作品中にお書きになる言葉から――
 「時間は夢を裏切らない。 夢も時間を裏切ってはならない」

(2001.11.11 up)

竹薮みさえのざ。問題主婦
竹薮みさえさまのサイトには、こちらからどうぞ。
自他ともに認める問題主婦の赤裸々な実態です…。 あ、でも、「男の人も若いひとも子どもたちも大歓迎です」と、トップページに明記されていますから、どうかご安心下さい。 (なにを?)

(2001.12.31 リンク追加)


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