水玉みかん さん、
『銀河荘なの!』バート2 ネタばれバージョンお待たせしましたっ!

『銀河荘なの!』のメインとなるモチーフは、吸血鬼です。

この作品以前にも、吸血鬼テーマの作品があります。 『いとしのアンジェル』(1970年)と、『緋色のロマンス』(1971年)です。
すでに『いとしのアンジェル』では、吸血鬼=トランシルバニア星人という設定がつ くられています。 また執事のアルカードも登場。アルカードは、ドラキュラのアナグラムとして、割合 ポピュラーです。
『緋色のロマンス』に出てくるオーブリーのおじいちゃんも、名前は無いものの、顔 はアルカードそっくり。(魔法使いサリーのパパにも似ていると思うのは、私だけ?)

吸血〈鬼〉というぐらいで、鬼の一種と考えれば、『夢の碑』シリーズ の一つにも数える事が出来るかもしれません。『花伝ツァ』の花車は、人の血を 「活力の素」だと言っていますし、 茨木童子は、伝説によると、流れる血を見て「うまそうじゃ」とつぶやいたらしい(それで正体がバレ た)ので、日本の鬼は、もともと吸血鬼の性格もあるのでしょうか。

〈マンガと吸血鬼〉と言えば、『ポーの一族』をはずすわけには参りません。
実際、『銀河荘なの!』にはエドガーが特別出演しているくらいですし、 作中でのクイーン教授の解説によれば、銀河荘の一族とバンパネラは、同じ種類の吸血鬼らしいので、 両方の作品を読み比べると、個別に読んだ時とは、一味違った楽しさが味わえます。

たとえば、ジークフリートの子供時代の回想場面。私は『ポー』『リデル・森の中』を連想してしまうのです。
人里離れて、2人の吸血鬼と暮らす小さな子供。 その時だけ、一緒に生活している のが、ヘルメスとイカルスの二人だけ、というところが、なおさら状況を似たもののように思わせま す。
しかし、同じように3人で暮らしていても、リデルは幸せそうですが、ジークフリー トの方は、なんとなく涙を誘うところ(特に自分でケーキを作って、くまさんたちとおやつをたべるとこ ろ)に、二人のマンガ家の描き方の違いが見えて興味深い。

エドガーに対応するのは、ヘルメス。アランは、イカルスとオルフェウスが半々か。 (女の子に恋をする、消える) 吸血鬼を追う人間のせいで、消滅するところは、メリーベルの要素もは いっているかも。
ジークフリートへのヘルメスの思いは、メリーベルを思うエドガーと対比して考える とおもしろいです。

クイーン教授が朗読する「500年も前の文献」は、『すきとおった銀の髪』や、 『グレンスミスの日記』を彷彿とさせます。

上記のように、先駆となる作品もあるところをみると、元々、吸血鬼テーマには関心 をもたれていたのでしょうが、この作品に関しては、発表時期が前後している事もあり、 ある程度『ポー』を意識してかかれたのではないか、と思います。

幻想的とも言える、『ポーの一族』に比べると、なんともお賑やかなコメディーなの ですが、ハッピーエンドなのに、チクンと胸の中にトゲが残る…。 読了した後、ボーっとうつろな目で悠久 のかなたを眺めてしまいそうな…。 甘いばかりではない、にがみのあるラブストーリーは、「八方ま るくおさまって」のロマコメから、万華鏡のように変幻自在の『夢の碑』の世界へ脱皮する一つの 過程だったのかもしれません。

そして、読み返す度に涙せずにはいられない、心に残る一行、
「不死は 人間のゆめです。」

悲しく消滅してしまったオルフェが、『摩利と新吾』で元気一杯に復活したのは、う れしい驚きでした。

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さて、ずいぶん沢山の作品にお話が及んでいますが、皆様、どれだけお読みになったことが おありでしょうか?
『ポーの一族』は多くの方が読んだことがあると思います。私も近年読み直して、多感な思春期に これだけの作品を読めたのは非常に幸せだったと、しみじみと感慨にふけりました。
また、『夢の碑』ですが、これもDOZIさまのファンであればお読みなっていることと存じます。 歴史がお好きな方には本当に読み応えがあります。

それに対して『いとしのアンジェル』『緋色のロマンス』となると、DOZIファンで あってもちょっと手が回っていないかもしれないのでご説明いたしましょう。

『緋色のロマンス』は、現代に生きる青年吸血鬼オーブリーの恋の顛末記。 1971年デラックスマーガレット冬の号に掲載された38ページのDOZIさま初の カラー作品で、角川全集23『青い十字架』に収録されています。 ご覧頂いているのはデラマ掲載時の扉絵、縞模様のワンピースを着ているのが 女優志願のベル、そして遠くを見ているような瞳の青年が吸血鬼のオーブリーです。
お話はといえば、ハリウッドでスターを目指すベル、ギョウザに恋路を邪魔されるオーブリー、 サクセスストーリーが絡みそうで絡みきれない70年代の典型的なコマコメです。

かたや『いとしのアンジェル』は、身寄りのない少女がヒロインで、 トランシルバニア家のお城を舞台にした吸血鬼の物語に、 SFの要素も加味されていたり、24ページの小品ながら随所に『銀河荘なの!』の原型と 思われる部分が散見します。
初出は1970年3月号の別冊マーガレット、角川全集23『青い十字架』と小学館『イブよ!わたしのイブ』 (木原敏江初期作品集)に収録されています。
角川全集23『青い十字架』、木原敏江初期作品集『イブよ!私のイブ』はいずれも 絶版しています。書籍資料のページに書影などを掲載していますので、ご参照くださいませ。
では、私も『銀河荘なの!』にお話を戻しましょう。

>なんともお賑やかなコメディーなのですが、
>ハッピーエンドなのに、チクンと胸の中にトゲが残る…。
 

そう、間違えなくハッピーエンドの物語です。 しかも、DOZIさまの初期の作品のお約束どおり、登場するキャラは最後にはみ〜んな 素直な良い人になって落ち着いています。 それでも、“チクン”と胸に残るのです。

>読了した後、ボーっとうつろな目で悠久のかなたを眺めてしまいそうな…。 

この悠久という単語は作品の中にも登場します。さりげなくさらっと使われていましたが、 中学生だった私には、無始無終の時間の流れを凝縮したような重みを持ってぶつかってきました。 それは、時間の流れの前にあって人間がいかに無力な存在かを正面から突きつけられた 重さでした。

けれども、あくまで『銀河荘なの!』は少女漫画です。正面から人生哲学を語ろうと、 底辺に諸行無常を秘めようと、SFの香りを漂わせようと、紛れもなく少女漫画以外の何物でもありません。
水玉みかんさまは最後に何度読み返しても涙する一言を上げてくださいましたので、 私は、何度読み返してもこの作品が少女漫画以外の何物でもないことを表している一言を あげたいと思います。

「地球? ああそれなら 右手の赤い星をめあてに まっすぐいけば……」

天文学、宇宙物理学、ロケット工学などなど、あらゆる理屈すべてをぶっ飛ばして、これでおっけー。 これこそ少女漫画の醍醐味です。
そして、思春期にこんな世界に触れてきた自分の幸せに感謝しながら、これからも小賢しい理屈に 縛られないで、少女漫画の世界を自由に飛びまわれる感性を大切にしていきたいと 思っています。
(2000.3.16 up)


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