いや、驚きました。木原先生がテレビに出演するということに。
木原先生がお年賀状でお知らせ下さったのですが、それでも、「えっ、本当に?」という感じでした。
木原先生は、出版物に文章を寄せることはあっても、メディアにお姿を見せるのはごくごく稀です。1980年7月号の「ぱふ」以降は、雑誌のインタビューも原則として受けません。近いところの例外は、大和和紀DREAM6(2004/10/05発行)の和紀先生との対談くらいです。
それで驚きのあまりお電話してみれば、「最初で最後よ」と笑っていらっしゃる。
このときの木原先生との会話は、すでに「DOZIさまのメッセージ」のコーナーに掲載したので、そちらをご覧ください。
こちらでは、番組の感想や思いつくことを冗漫につづります。
番組全体の印象は、「私の中の木原先生のイメージがそのまま伝わっているわ」でした。
ご家庭の事情など初めて知ったことも多々ありましたが、これまで直接耳にし目にした先生のちょっとした言葉の端や、物腰のあれこれを思い出し、「ああ、だから…」とひとり納得していました。
私にとって木原先生は、作品と、電話やお手紙・ファックスのやりとりと、お目にかかっての会話と、すべてが違和感なく重なる方です。今回の番組も「ああ、この方があの作品をお描きになったのだわ」と自然に肌に染み入りました。
制作スタッフのDOZI作品全般への熱愛を随所に感じました。そして、「木原敏江の最初で最後のテレビ出演」を意識していた気合、心意気も。
もちろん押し付けがましい熱意ではない。そんなのは木原敏江の美の世界とは相容れない。さりげなく丁寧に手を抜かない誠実さに裏付けられて、豪華と簡素が共存している。綺麗寂び(きれいさび)に通じるような。
冒頭の爛漫の桜、ゆるゆると時に流されるように空を渡る花びらが、やがて吹雪のように乱れ渦巻き沈んでゆく。
各所の繊細な演出や、抑え目の音量で流れるBGMの選曲、細心の注意をはらい、熱い想いで木原作品の美意識を映像に変換しようと努めているなあと感じ入りました。
当初は『縞りんご』に中心として企画され、番組サブタイトルも『摩利と新吾』で告知されながら、取材が始まってからの制作会議で『夢の碑』との二本立てに変更され、サブタイトルも『木原敏江の世界』に変わったとか――。
「The 少女マンガ!」シリーズでも前例がないのでは?
直前の決定だったのか、NHKの番組紹介サイトは事前告知の差し替えが間に合わず、テレビ上でも『木原敏江の世界』という告知が流れたのは、前日になってしまったようです。
こんな状況下、作者による『摩利と新吾』の掘り下げを期待してご覧になった方も多数あったと思います。その方々のとまどいは容易に察します。が、それでも私としては大変うれしい変更でした。80年前後の集大成作品だけで過去の定点観測になるより、90年代の集大成作品を中心にすえて、漫画家・木原敏江の生い立ちからデビュー、さらには今日までのエッセンスを凝縮してもらえたので。
ちなみに、『夢の碑』シリーズの中から『雪紅皇子』が取り上げられた理由は何か?
木原先生がシリーズ中で一番お好きな作品だから?
これは、個人的憶測ながら、当たらずといえど遠からずではないかと、確信めいたものがあります。ええ、なんとなく。(「『雪紅皇子』が一番好き」という木原先生のお話は「DOZIさまのメッセージ」の“2001年9月14日 その1”でご覧いただけます)
番組のエンドロールが流れたときに、自分の軽い疲労感にふっと気づきました。いつの間にか相当集中していたんですねえ。
確かに『雪紅皇子』は南朝の滅びをテーマとするだけに重い。しかし、史実の重さだけではない。
叙情や耽美という肌触りの良い衣をまとい、リズミカルな言葉に彩られているから認識されにくいけれど、木原作品は根底には歴史や人間の本質を描く重厚さがある。ゆえに軽く読み飛ばせないし、紹介番組になっても我知らず見入ってしまう出来になる。
宝塚の演出家・柴田侑宏(ゆきひろ)氏の「空虚でない言葉の効果」という一言に、「うん、そう、そう」とうなずきました。
木原作品の言葉使いは詩的、リズミカル、繊細華麗とよく言われます。
けれども、語調が良いだけじゃなく、耳ざわりが良いだけじゃなく、キラキラしい漢字を使っているだけじゃなく、観念的な言葉遊びに終始しているわけじゃない。
同時に、濃密な中身がある。だから作品が骨太になる。だから、フレーズが魂にしみこんでくる。(「骨太」という言葉は、木原作品を語るときに私は良く使います)
叙情や耽美の衣をまとっているのは言葉に留まらない。
惜しげなく画面に写った華麗な絵の数々。話題になった桜の花のように、木原先生の美意識によるアレンジはありますが、アレンジの前提には確固たる「資料」が存在するわけです。建築、衣服、武具、小物から風俗にいたるまで。
もちろん物語の屋台骨も実は野太い。
番組中で木原先生がご自分のことを「理屈屋」とおっしゃっていましたが、理屈の地下茎に支えられているから、耽美もロマンもうわすべりにならない。そんなところまでご本人に、そして周囲の方々に語っていただけたのも、すごく嬉しかったです。
さて、ちょっと突っ込むなら、『夢の碑シリーズ』と紹介された絵の中に『煌のロンド(きらのろんど)』が混じっていました。
PFコミックス『夢の碑3巻』に収録されていますが、『煌のロンド』はアングレアヌ・サフォランのシリーズ最終作でございますよ。1983年作品だから絵柄は近いけれど、テレビ画面ではカットされたすぐ上の部分に「ワープ!!」という文字があります。『夢の碑シリーズ』の単語じゃありませんって、気づいて欲しかったなと。(番組冒頭で紹介されたとおり、『夢の碑』は1984〜1997年に描かれたシリーズです)
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