2000年11月17日〜19日 鎌倉にて
あの、あの、あの井上ひさし先生が作文を添削して下さると聞いたら、それは飛んでゆきます、私。
はい、万難を排して、海山(うみやま)を越えて。
「井上ひさしって誰?」と思った方も、「ひょっこりひょうたん島の作者」と言えばピンとくるのではありませんか?
もちろん、『吉里吉里人』『東京セブンローズ』はじめ名著は山のようにあるし、現代日本の戯曲作家の第一人者です。
その方が3日間にわたり文章の書き方をレクチャーして作文を添削して、その授業料がしめて5,000円。
「こんなことが、世の中にあってよいの?」と、わが目を疑いました。
無限のインターネットの海でこんな情報に遭遇した幸運に感謝しつつ、波をちゃぷちゃぷかきわけて、即、申込み。
150人の定員中、119番ですべりこみました。
余談ながら、私は某放送局夕方時間帯の人形劇では、“♪〜荷物はひとつ! 君の胸に、君の胸にあふれる勇気を〜”の「ネコジャラ市の11人」も好きでした。
これも井上先生の作です。
まず、この充実したテキストをご覧下さい。
講座初日に配布されたものですが、全9ページ、「一 なぜ書くか」から、「十 結尾」まで、莫大な資料に裏付けられた“特製濃縮レジュメ”です。
「以前にも“文章教室”をしたことはあるけれど、これほどテキストを整え本腰を入れたのは今回がはじめて」だとか。
(c) 井上ひさし |
画像処理で白くしてありますが、30年以上、第一線で書き続けていらした井上先生ならではの講義を感動のままに書き留めたので、実際の私のテキストは書き込みでぐしゃぐしゃです。
大宇宙や時間など人間が逃れられない見えざる力、昨今の世界的な社会現象、古今東西の歴史、日本の今日明日の政治動向、文豪大家の意外な素顔…。
縦横に時空を越えて発展したお話を、「あれ? なんでこの話になったのかな?」と本筋に戻すこと数知れずでした。
井上先生の語り口はご著書の文章そのままで、私の中のイメージもタイムトリップさながらに広がりました。
「時計職人のように言葉を組み合わせていく作業です」という一言で、なぜか脳裏に「マリアは立派なストリッパー」のフレーズが繰り返されて、20年も前に読んだ『珍訳聖書』の一節を、よく覚えていたものだと自分で感心するやら、呆れるやら…。
初日の講義後半にはいって、“課題作文”のテーマが発表されました。
「家族について書いてください。お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさん。
覚えている人は、ひいおじいさんやひいおばあさん。
あるいは、おじさん、おばさん、甥、姪など親戚関係まで含めてかまいません。
3人くらい絡めたほうがどうしてもおもしろいと言う人は、それでも結構です。
ただ、今回は400字ですから一人にしておいたほうが良いでしょう。
400字の字数制限は守ってください。
以前の文章教室では、うらやましいくらい筆力のある方がいて、一晩で15枚くらい書いてきたことがありましたが、皆さんはルールを守ってください」
井上先生が予想される作文内容や構成パターンを挙げると、受講者から苦笑とも失笑ともつかない声があがって、思い当たる方、少なからずを証明。
そういえば家族作文の書き方の説明は、もっぱら「おかあさん」が例になっていました。
確か、お父様は早世して、そして、『人生は、ガタゴト列車に乗って』のお母様。
やはり、井上先生の中では「おかあさん」の存在が大きいのでしょうか。
「ワープロを使っている人も多いでしょうが、提出原稿は手書きにしてください。
原稿用紙のきちんとした使い方も大切です。
それは長年の間に出来上がった実に合理的な作法です。
明日の講義が終わるまでの提出ですから、講義中に私の話を置いておいて書いてもかまいませんよ」
え?
最終ゼミの時間内に教授の目の前で、その日が提出期限のゼミ論をせっせと書き続けた学生時代の自分を見透かされたようで、思いっきり苦笑。
「そうですね、皆さんの作文の目処が立つのは今晩10時くらいでしょう」
その夜、じたばたしながら、とにかく“たたき台”を書き上げて時計を見れば10時40分。
帰途、電車の中で大体の目星をつけて、「このぶんなら午後7時には目処がつきそう」という私の明るい気分はなんだったのか、プロの読みはかくもシビアなものかとため息。
講座2日目にもテキストが配布されました。
ひとつは文章の書き方を学ぶには欠かせない日本語について全6ページの資料。
縮小画像ですが、「青森の人が土地の言葉で喋ると、関東以西の人には通じない。
鹿児島の人が生地のコトバを出したら、中国、四国以東の人にはわからない」とお読みになれますか?
「それだけ違うことばなのに、なぜか文法構造は同じです」という井上先生の解説に、はっとしました。
なるほど、同じ音の語句がまったく異なる意味になってみたり、発音もイントネーションも慣れない耳には聞き取れないほど激しい地域差があります。
それでも文法構造は同じだなんて、考えると不自然なくらい不思議です。
(c) 井上ひさし |
「昨夜、皆さんは作文に取り組んでいたのですが、井上先生はその間に追加資料を作ってくださいました。
活字にする時間がないのでそのまま印刷しました」と、渡されたのが次の画像です。
こちらには、「小説作法」の概要が、細かい字でぎっしり詰まっています。
(c) 井上ひさし |
実は、この日は講義が始まる前に、(かなり主観的ですが)重大発表がありました。
「先生のご著書を持参すれば、サインをお願いしてもよい」と耳を疑うようなお話です。
状況によっては、サインのおねだりは“掟破り”以外の何ものでもありませんから。
もっとも“掟破り”の可能性を認識しながらも、なぜか私の鞄には『自家製 文章読本』とサイン用のペンが入っていました。
初日のテキストに『自家製 文章読本』が引用されていたのは、単なる偶然だと思います。
ええ、課題作文の下書きが終わってから、本棚をかき回して一生懸命この本を探したのは、きっと気のせいです。
事務局からお許しがあったとはいえ、「150人の作文を抱えて、走って帰って添削しなければならない」井上先生のご苦労を考えれば、個人的なサインのお願いなど遠慮して当然でしょう。
それこそ良識ある対応というものです。
が、私の乏しい自制心は力いっぱい軟弱でした。
でも、私だけじゃなかったし…、ってちっとも言い訳になりませんね。
この際です、ミーハーに言い訳は無用と居直りまして、とにもかくにもいただいたサインをお目にかけとうございます。
(「様」の字にご注目くださいませ)ゥ
お使いになった筆記具は私が持参した安っぽいサインペンではなく、ジャケットの内ポケットから取り出した暗緑色の軸の太い万年筆。 ご愛用のものなのか、輪島塗のような模様のペンはしっくり手になじんでいるご様子でした。
受講前、夫にプログラムを説明したら「一晩で、150人の添削?」と驚いていました。
もっとも、私は「あのお方なら、これ以上の修羅場をいくらでもくぐっているような気がする」と答えてしまったのですが。
冗談はさておいて、昨日までのジャケット姿とは打って変わって、作業着のようなジャンパー、土気色の顔、落ちくぼんだ目、とっさに井上先生とは気づかないほど憔悴した姿を目の当たりにすると、やはり言葉を失いました。
「添削には、昨夜7時から今朝11時までかかりました。
完徹です。顔も洗っていません。
着の身着のままで家を出てきました」
中には、余白への書き込みだけでは足りなくて、提出した原稿用紙の上に別紙を貼り付けてまでご指導いただいた方もあったそうです。
と、ここまで書いてきて私の原稿用紙をご覧に入れないのは皆様に失礼ですよね、いくら恥ずかしくても。 というわけで、恥をしのんでお目汚しなぞ…。(赤字が井上先生の添削です)
落款(らっかん)部分拡大図 庚(ひさし)はご本名 |
両切り、しかも、缶入り
苗字 名前
「女房との付き合いより長い」とうそぶき、入院先でも煙草を手放さない父だった。
缶入りのショートピースを絶対的に愛好し、おかげで幼少子どものころの私は「煙草は青くて丸い缶に入っているもの」と思い込んでいた。
小学生の頃、風邪をひくと父が喉に薬を塗ってくれたが、舌を押さえつける親指の腹が苦くて閉口した。
その刺すような味覚が、指に染み付いたニコチンゆえと気づいたのは、思春期も過ぎた時分だった。
父の遺影前の線香立には、弔問客が持ち込んだピースが立ち並んだ。
煙草の煙で通夜を弔う光景があまりに父に似つかわしくて、放心状態だった母も思わず声をたてて笑った。
四十路になっても喫煙とは無縁な一人娘は、この文章を書きながら、父が私の「背負い煙草」まで吸い切ったのかなと思ってみる。
ふと、どこかで父が笑っているような気がする。
どこかに余裕のある筆さばき、ひとりでにたちのぼる諧謔(ユーモア)。
うんと文章をお書きなさい。きっといいものが書けます。
事務局からの作文返却が終わると、本日のメインイベントである“朗読”に移ります。
「今、世界的に作家による自分の作品の朗読会が行われています。
自分の作品を朗読するのは、文章を書く上にも、とても大切なことです」
井上先生の中では、“作文=紙に書かれた二次元の世界”という等式などあるはずないのだと痛感します。
戯曲作家として観客が存在する空間での視覚効果、音声による言語認識効果などを意識した作品を多く手がけているのですから。
そして、それ以上に「文章を書くことで時間に一矢報いること」、つまり、文章を書くことで四次元を超えることを試み続けているのですから、三次元など楽々と内包しているのでしょう。
と、もっともらしい抽象論は手短に切り上げて、当日のレポートに戻りましょう。
「題材別グループに分けて無作為抽出」という触れ込みで、指名された人たちが壇上に並び、順次、マイクを持って朗読します。
その際、「添削に従っても、自分の書いたままでも、どちらで読んでも構わない」ということだったので、両方のパターンがあったようです。
添削を受け入れるかどうかも各人各様で興味深いところです。
朗読された作文は書き手の、年代、人生経験、生活環境、いえ、お書きになった方ご自身を反映してどれも個性豊かでした。
微笑ましいもの、涙を誘うもの、胸を締め付けるもの、爆笑してしまうもの、上手だなぁと感嘆するもの、まったく退屈せずに40人以上の朗読を聞き終えたのは、それらの作品がいろいろな意味で高水準だったためだと思います。
さては、「無作為抽出」に神の見えざる手が働いたのでしょうか。
それこそ、神のみぞ知るでしょう。
多忙きわまる井上先生がこれだけ破格の講習をして下さったのは、当然ながら理由があります。
一番最初のテキストに、“特定非営利活動法人 鎌倉広町・台峯の自然を守る会主催”と書かれていたのにお気づきでしょうか?
同会のパンフレット (表) |
今回の文章教室の収益は井上先生のご厚意で、すべて同会の「鎌倉のみどりと自然をまもるためのトラスト運動」活動の資金になるそうです。
パンフレットの裏面には、同会の理事長でもある井上先生のメッセージが、手書き原稿のまま掲載されています。
(下の画像をクリックすると、別ウィンドウで大きな画像がご覧になれます。
文字が読める大きさにしたので、70KB近くなってしまいましたが…)
同会のパンフレット (裏) |
すでに次回の文章教室開催のお話も出ています。
それと言うのも、定員オーバーで参加できなかった人が、今回は70名にも及んだためです。
現時点では、具体的なスケジュールは白紙ですが、来年(2001年)の開催予定と聞いています。
(この原稿の掲載を同会事務局にご相談したら、5月の連休を軸に井上先生が日程調整に入っているらしいという非公式情報も流れてきました。
ご多忙な方ですから、不確定要素も多分にあると思われますが)
同会の活動予定は鎌倉広町・台峯の自然を守る会のホームページでご覧になれます。
次回以降、参加をご希望の方はこのサイトを定期的にチェックすると良いかもしれません。
また、この3日間の講義をはじめ、数回の文章教室でお話した内容を、きっちりした形で一冊の本にまとめる構想もあるそうです。
諸般の事情から文章教室に参加できないない方には、またとない朗報でしょうか。
今回の講座で私が聞いた範囲でも、具体的なノウハウともいえる文章技術の数々、直木賞選考委員でもある井上先生ならではの芥川賞・直木賞など文学賞それぞれの今日的意義、日本語習得あっての外国語学習、職業文筆家を目指す人には必携の辞書の新刊情報、他の出版物からの引用に際しての著作権への配慮、憲法が保障する表現の自由の内容とその限界の問題などなど、多岐にわたって実用的で、他では聞けないお話ばかりでした。
必ずや楽しい読みごたえのある一冊に編集されることでしょう。
その準備作業のテープおこしのボランティアには、私も参加させていただく予定です。
実際に本が出るのは再来年以降と思われますが、期待が大きければ、待つのもまた楽しからずやです。
この本の出版状況も、鎌倉広町・台峯の自然を守る会のホームページでチェックできるので、興味ある方はご参照くださいませ。
井上ファン必見サイト
明治大学で教鞭をとっていらっしゃる生方先生のHPです。
「生方卓の部屋」には驚異的に充実した井上作品リストをはじめ、こまつ座のスケジュールなど井上情報満載です。
こちらからお立ち寄りください。→
生方先生のHPへ