仔猫の愛らしさはどこへ行ってしまうのでしょうね? 〜〜 仔猫レポート本編 〜〜
★ 主な登場人物 ★
♪ あずき … 仔猫
♪ らん … ポメラニアン (雌・3歳と数ヶ月)
・ らんパパ … ゆりあの弟
・ らんママ … ゆりあの義妹
・ アヤちゃん … ゆりあの姪 小学校3年生
1、らんの証言から6、追憶
退院後、膝の上でご対面の図 草原(くさはら)で軽くジョギングをするのが、私の日課であり、楽しみでなんですが、 その前に用を足すのも習慣にしています。ちょうど人目につかないくらいの草むらに お気に入りの場所があって、そこが私の専用のお手洗いです。2、建音(たてね)通れば本音(ほんね)引っ込む
4月のあの日も、いつものようにそこで…と思ったら、なにか、変なものがあって、 邪魔なことこの上ありません。どけようと思ってくわえたら、今度はいきなり声を立てる ではありませんか!
得体の知れない不気味さに、思わず放り出してしまいました。ポメラニアンは足が細くて骨折しやすい。万一、骨折したら治療は望めず薬殺の運命。 だから、走らせてはいけない、ジャンプなんて問題外。鞠のように弾んで歩くお散歩か、 だっこされているのが良く似合う、らしい。3、わが名は“あずき”
らんは血統書つきの由緒正しい純血ポメだ。しかし、5歳だったアヤちゃんが「この仔がいい〜」と 言った時からビューティフル・ポメラニアンからパワー・ポメラニアンへの道が 開いたのだった。
確かにらんは生まれつき体が大きかった。でも、自主トレーニングも欠かさなかった。生後数ヶ月で アヤちゃんの草すべりに付き合って、川べりの土手を我を忘れて昇り降りした夜、餌も食べずにぐったり していたかと思えば、「ううっううっ」と嘔吐。好きで、吐くまでトレーニングするなんて、まるで岡ひろみの ようだ。
毛玉みたい
らんが証言する4月のその日、アヤちゃんとらんママが見たのは、人の膝丈ほどの草むらの中から らんが何かをくわえて出て、それをいきなり宙に投げ出した光景。投げ出された物の落下地点に 行ってみれば、毛糸玉ほどの生き物がうずくまっている。
こんな小さいうちに、人目につかない場所に捨てられては、普通なら生存は絶望的だ。 やっと、目が開いたかどうかというくらいの仔猫、引き取るにしても世話が大変。 この状態では、獣医さんへの支払いもまとまった金額になるだろう。 心を鬼にして見てみぬフリ ―― “大人の事情”に基づく本音の結論。
けれど、8歳の子供が横にいては“大人の建音”の行動が要求される。
「死んじゃうう、、先生、助けてええ、、らんの大ばかぁ、、」
らんの主治医の獣医さんに、アヤちゃんが泣きじゃくりながら仔猫を差し出した。
困惑の表情を隠しきれない獣医さんも、アヤちゃんの日頃のありあまる元気を知っているだけに “建音”で引き受けてくれた。まだ、小さすぎて血管も出ないから注射はできない。口にブドウ糖を 含ませてもらって、仔猫の24時間完全看護の入院生活と、アヤちゃんとらんママのお見舞いの 日々が始まった。
まだ、体を持ち上げられない頃。爪を出して這い這い
4、隣りの芝生夜間は獣医さんが自宅に連れ帰り、文字通りの24時間体制で面倒を見てくれたお蔭で、 仔猫は一命をとりとめ退院した。
- らんママ
- 「お義姉さん、猫、飼いませんか?」
- ゆりあ
- 「無理よ、うちは。」
- らんママ
- 「そうですよねー。」
- ゆりあ
- 「そう言えば、猫はなめる動作で母性本能が 目覚めるって、昔、ムツゴロウ(畑正憲)さんの本で読んだことがあるけれど。 だから、ムツゴロウさんの所では、里親になってくれそうな猫に、頭にバターを塗ってから仔猫を 預けるんですって。バターをなめているうちに母性の灯がともるって…」
- らんパパ
- 「らんでやってみようか?」
- ゆりあ
- 「犬はなめるより、押さえつけてかじる方じゃない? 科目は忘れたけれど、小学校の 教科書で、シェパードに虎の子を育ててもらった話は出ていたけど。その時は、シェパードがおび えないように、犬のおしっこを仔トラの体につけたとか。」
- らんぱぱ
- 「それは、臭そうだな。」
以前、真っ白な愛猫を交通事故で失った方が、喜んで里親になってくれた。子供たちの公園通いに一緒 についてくるような人懐こい猫だったが、それがあだになってしまった。 お散歩途中に車にはねられて、外傷がないのが不幸中の幸いとは言え即死だった。
里親さんはこの仔猫を一目見て、“あずき”と名づけた。事故死した真っ白な猫の名は“白玉(しらたま)” だったという。さらに、未確認情報ではあるが、仔猫を見にくる前日の里親宅のおやつが “白玉あずき”だったという噂もある。
里親さんはご主人が大の猫好きで早期の引取りを切望してはいるが、3歳と1歳の子供がいるので、 5時間ごとの仔猫の授乳までは手が回らない。そのような事情から、あずきは離乳までは アヤちゃんの家で過ごすことになった。
らんにとっては青天の霹靂だった。何故か突然、4月も末というのに一日中ホットカーペットに スイッチがはいるようになった。その上を、良くわからない生き物がもそもそとうごめいている。 気にはなるが薄気味悪い…。
あずきにとっても突然、世話をする人の対応が、がらっと変わった。 獣医さんや看護婦さんはどこに行ってしまったのだろうか? 「もう、これ以上、飲めない」と顔をそむけても、「まだ飲めるわよねー、ほらー」と、ミルクを突っ込 んでくるのは誰だろう?
かくして、アヤちゃん、らん、あずきのジャンケンポン状態である。アヤちゃんはあずきに勝ち、 あずきはらんに勝ち、らんはアヤちゃんに勝つ…。
今日から離乳食だ。あずきの離乳食はドライのキャットフードをミルクでふやかしたもの。 ミルク以外飲んだことがないのだから、固形物を食べることからを教えなければならない。 らんパパが抱き上げて、ひっかかれながら嫌がるあずきの口にやっと10粒くらい入れて、 最初はこんなものかと床に下ろした。とたんに、あずきはらんの皿めがけて走り寄った。
小型犬とは言っても成犬用の餌にいきなり首を突っ込み、口からはみ出す肉に、ふがふがと 怒りの声を上げながら、むしゃぶりついている。
ひとしきり肉片と格闘して水のボールに口をつけた。が、今まで、哺乳瓶のミルクを飲んでいた のだから、これまた初体験。鼻まで水に突っ込んではむせている。水の飲み方より、物の食べ方を 先に習得するのは、一般的な猫の発育プロセスなのだろうか?
らんは、アヤちゃんがテレビに熱中して手に持ったソフトクリームがお留守になれば、それをしっかり なめてしまうちゃっかりさんだ。が、同時に、“ひとりっこ”みたいなところもあって、 自分の食べ物をとられても文句をいわない。 そんなわけで、この日から、らんの水飲みボールはあずきと共用になった。
とにかく、翌日から“ふやかしたキャットフード”の皿が用意された。 あずきは、自分の体も乗っかりそうな皿に首を突っ込んでは離乳食を食べている。 と、その時、何を思ったのか、らんが鼻先であずきを押しのけた。いくら睨み合いではあずきが 絶対優位を誇っていても、体力差はどうしようもない。
あずきを押しのけたらんは、おもむろに仔猫用離乳食を食べ始めた。
押しのけられたあずきは、何事もなかったかのように、らんの皿に移動して成犬用の肉片に ありついている。
らんパパが、「隣りの芝生が青いのは、人間だけじゃないんだなぁ。」と笑いながら納得している。 さしずめ、全てこの世はこともなし、というところか。5、新たなる旅立ち
あずきはどっしり、らんは後ずさり可能の態勢を確保して前足に力が入る
離乳と同時に“大人の食べ物”に手を出したせいか、3日ほど便秘をしてらんママに心配をかけたりも したが、体重も順調に増えている。耳もぴんとしてきた。産毛が取れると全身に縞々模様が浮いて、 随分、アメリカンショートヘアーらしくもなってきた。
らんにちょっかいを出しては、手(前足というべきか?)の届かない隙間に逃げ込んで、したり顔で 挑発を繰り返す。
かと思えば、昼寝をしているらんパパの袖口からもぐりこんで、わきの下で寝息を立ててみたりする。 身動きがとれなくなったらんパパの肩こりなど知る由もなく。
獣医さんや看護婦さんに始まって、人間たちの溺愛に答えて、たいそう怖いもの知らずに、 いや、おおらかに育ったものだ。
里親さんとの相談で5月7日(日)にあずきは引き取られることになった。あずきの到来を待ちかねている ご主人は、7日は終日、自宅であずきと過ごせるように万難を排して仕事の調整中とか。 大手マスコミ関係の報道セクションが勤務先だけに、自分の仕事に区切りをつけて置くだけではこと足らず、 周囲への根回などが大変らしい。
と、そんなある日、らんママはあずきのしっぽの先が曲がっていることに気づいた。
「まさか、人の目の届かないところで、らんが何か…?」
不安に駆られて獣医さんに相談したら、「“ジャパニーズ・ボブテイル”とよばれる日本猫の特徴です」とのこと。 やはり、あずきはハイブリッドだったのね。
2000年5月7日、数々の笑い話を置き土産に、あずきは養家へと旅立った。
そして、2000年5月7日は小渕前首相の命日になってしまった。 あずきを待ち焦がれていた里親さんのご主人が、予定通り自宅にいられたのか、報道の職場に向かったのか、 らんパパもらんママも聞いていない。
「仔猫の愛らしさはどこへ行ってしまうのでしょうね?」
これは、20年程前のあるアニメ、いや、別に伏字にする必要もない、「うる星やつら」の中でコタツ猫に 向かって誰かが言った台詞。猫も犬も、成長に連れてからだが大きくなるだけでなく、表情も大人びてくる。 仔猫であるが故の愛らしさは、本当に格別だが必ず失われるのが自然の摂理。と、この台詞に妙に納得して、 テレビの前で「本当にねえ」とうなづいている私に、母が言った。
「人間だって同じよ。」
異常なまでに、実感のこもった物言いだった…。