2002年7月2日 その1 |
今年も新年にはトップページに、先生の画集に掲載されたイラストを飾らせていただきました。文字入れまでさせて頂いて、ありがとうございました。 天使がくわえ煙草とはなんとも粋で、実は2年も前から“お年賀画像”にしたくてうずうずしていました。 私も忘れていたカットなのでした。遊び心いっぱいだったのね。あの頃は……(遠い視線) 小学館の隔月誌プチフラワーが月刊誌フラワーズに衣更えした関係上、半年以上お休みなしのハードワーク、大変だったと思います。 おかげさまでなんとか終わりました。でも、大変だったわ〜。疲れました。はあはあはあ。。。 |
5月にはフランスにもいらっしゃったそうですし。
ええ、もう無理かと思った。 それでフラワーズは泣きついて減ページに次ぐ減ページをお願いして、8月号の『杖と翼』は、24ページまで減らしてもらいました。26ページだったら落ちていたかもしれない。 5月は集英社別冊YOUの『大正浪漫探偵譚』シリーズも入ってまして…。
お花を描くのは早いのよ。私もアシスタントさんも好きだから。 だけど着物の柄までは描ききれなくて……。 あ、でも、結衣ちゃんの絣(かすり)のアンサンブルは手描きだし、カラーページや見開き扉は着物や帯はもちろんのこと、襟の松葉模様、伊達襟、絞りの帯揚げ、袖の内側にのぞく長じゅばんの模様まで描いていらっしゃいますよね。 ええ、着物も好きですから、できれば冴路の着物なども手描きにしたかったけれど、今回はなにしろ時間がなくて、スクリーントーンですませたの。無念でござる……。 それでも、冴路の襟と帯の模様はしっかり描いていらっしゃるのが先生らしいなと拝見していました。 ご旅行は5月連休明けに10日間とうかがっていますが、久しぶりの海外旅行でしょうか。 一応、取材旅行でアシスタントさん2人も一緒です。 ノルマンディーでは、前プチフラワー編集長の運転でドライブが楽しめてよかった。(はぁと) 田舎はいいですね。私はこっち方面ははじめてなの。フランスは広いわ〜。 |
先生は運転なさらなかったのですか?
私は忙しくて国際免許証をとっている暇がなかったので、運転はおまかせでした。 旅行の後半、前編集長さんはポルトガルに向かったのでパリの空港で別れてから、私と2人のアシスタントさんで3日ほどパリにいました。 それが連日もう暑くて、気温が28度もあったんです。4月に現地の気候を調べた時には涼しいと聞いていたので、防寒対策ばかりして行ったから汗だくで…。 それなのにコートにマフラーの人も歩いていたのよ、何人も! 涼しい顔で。さすがは個人主義の国だわ!! でも、変……。 地下鉄でカルナヴァレ歴史博物館に行きました。 18世紀の貴族の館だった建物ですが、広くて部屋数が多くて、やっと、「ここか」とたどり着いたら、最後の通路のプレートには矢印とともに日本語で「フランス革命」。 きっと、日本人が大勢来るのね〜〜。『ベルばら』のおかげかもしれない。
ビュゾーの肖像が、私の絵と全然似ていなくて、とろーん、のっぺりな顔立ちでしたが、あとは大体、どの人物も雰囲気をつかんでいました。ロベスピエールも似ていたし。特にね、ダントンの雰囲気がよく似ていてうれしかったあ! 団子っ鼻といいギラギラの断固たる感じといい。 サン・ジュストは隅っこにトルソ(彫像)がひとつあっただけでした。やっぱり革命的には脇役だったのね。それとアントワネットの遺髪とか…。 ロワールの入口の都市ナントではバンデーの歴史関連の小冊子も手に入れたのですが、こちらは人物がみんな似たようなハンサムで同じような決めるポーズとってるの。著者の思い入れが大きいのがわかって、なんとなくニヤニヤしていました。 秋田文庫『花ざかりのロマンス』の後書『神秘の証明』で、フランス圏は、味覚が合わなくてげっそりやつれた“20代後半の体験談”を描いていらっしゃいますが、今回はいかがでしたか? |
あの時は味覚があわなくてお料理がまったく食べられなくてパンとお茶だけで過ごしたのね。で、『神秘の証明』に描いてある“体験談”は実話です。栄養失調寸前!! で倒れたものね〜。 今回は、ノルマンディーの海の幸がおいしくて助かりました。 アシスタントさんたちは初めてのヨーロッパ旅行だったから、パリでもちゃんとしたレストランに入ろうと思って一応のぞきはしたんですが、喫煙率が高くて、お店の中がもうもうとしているの。カフェも同様。 昔は平気だったけれど、今は煙草の煙の中に入ると目が真っ赤に充血してしまうので、入口で引き返しました。 ノルマンディーではそれなりのレストランで食事したから、それで彼女たちには良しとしてもらって。それにね、3日間だけだったし、パリのお惣菜屋さんで果物やヨーグルト、お惣菜を買い込んでホテルの部屋で食べたのよ。私が部屋で寝ている間に、アシスタントさんが面白がって2人で買いに行ってくれて。 貧乏旅行みたいだけれど、パンもワインも安くておいしい。(はぁと) 現地の生活の一端にも触れられるし、3日も同じお惣菜屋さんに通えば、お店の人も顔を覚えてオマケしてくれたり。楽しかったですよ。 旅行記をフラワーズ9月号(2002年7月27日発売)にお描きになったそうですが、写真も拝見できるのでしょうか? いえ、私が描いた絵だけです。 週刊マーガレットの時代から、先生はほとんど写真を公開なさいませんよね。 う…ん、私はマンガ家だからマンガを読んでもらえればいいの。あまり自分は出ないほうが良いと思って。あ、もちろん、考え方は人それぞれですが。 |
6月は日本中がワールドカップで大騒ぎでしたが、先生もお仕事の合間にテレビ観戦なさったとか…。
居間でテレビを見ている母の歓声や拍手を聞きつけては、仕事部屋を抜け出してのぞいていました。 だから、ずっと見続けていたわけではないけれど、おいしいところのつまみ食いができて、楽しかったです。 母は野球の西武ファンでそれまでサッカーに興味がなかったのですが、基本ルールが簡単でわかりやすいので気に入ったようです。とにかく足と頭でゴールにボールを入れればいいわけで。 世界の最高水準のゲームだけに選手の動きも表情も素晴らしいし、母と娘で声をあげて手をたたいて見ていました。W杯ミーハーファンです。(笑) 私もサッカーは詳しくはありませんが、アシスタントさんのひとりに年季の入ったサッカーファンがいて、大会前から少しずつ話を聞いていたので、参考になりました。ドイツのGKカーンがよかったあ。(はぁと)
本当はね1回50ページくらい描ければ話がどんどん進むんですが……、この手の話は。でも、年齢的、物理的に無理なので…。ごめん。(汗) 2001年9月14日のインタビューで私が「少年の顔立ち」と申し上げたリュウの顔が、単行本2巻(02年6月刊行)で、しっかり“木原美青年”の顔に描き直されていて驚きました。すみません、失礼申し上げて…。 ご指摘のリュウの少年顔は、原稿を出した直後から感じていましたから、「おっしゃるとおりでございます」。今、私の顔は(赤面の)斜線が入っています。しくしく。 実はあのころね…。 『杖と翼』連載開始からしばらくの間、目の調子が最悪だったんです。 だから線の始点と終点がつなげられないし、細い線が引けないしで、キャラクターの顔がよってしまったり、睫毛が描けなかったり……。 今は回復しましたので単行本にするさいに、件のリュウの顔など何箇所かせっせと描きなおしました。 それでなくても、もう老眼鏡のお世話にならずには、なにも描けないのでした…。なにしろ、もう30年もこの仕事で目を酷使していますものね。(涙) |
1983年に出たチェリッシュギャラリー複製原画集『摩利と新吾』の解説には、「丸ペンが苦手」と書いていらっしゃいましたが。 若い頃は勢いがよすぎて軸の細い丸ペンで細い線を描くのは苦手で、もっぱらGペンを愛用していました。 昔のGペンは力の加減で自在に太い線も細い線も引けたのですが、鉄工業の斜陽化につれて粗悪になって―― きっとペン先なんかには、上質の鉄を使ってはいないでしょうから ――、すぐにつぶれて描きにくくなったの。 時期としてはいつごろですか? 縞リンゴのあとですね。だから、1980年代後半かな。
私の「マンガを描く時に必要な 道具の条件」は、秋田文庫『エメラルドの海賊』の描き下ろし後書で披露しています。 はい、楽しく拝見しました。 パレットをお使いにならずに、古くなったケーキ皿やうずらの卵のケースをお使いになっているという……。 趣味でマンガを描いている方が、この後書をご覧になって、「私もうずらの卵のケースをパレット代わりに重宝しています。木原先生もお使いになっていると知ってうれしいです! 」と掲示板に書き込んでくださいました。 また、「コンパスの代わりに、お茶碗をひっくり返して丸を描いていた」という先生のお仕事場の目撃談を、再々伝聞くらいで聞いたことがあります。ずいぶん昔の作業状況だと思いますが。 うん、そんなこともありました。上手だったのよ、私。 線の太さや勢いで作品はまったく違うものになりますが、そうね、フランス革命も「革命」の話だから、グイグイ太い線で描くというやり方もあるでしょう…。でも、それは私以外の方がなさるでしょうから…。 |
『杖と翼』は線が細いぶん、お話が軽くなっています。
そうよ〜〜! 一生懸命、軽くしているのよ〜〜〜! 政変、政争、外交、血で血を洗う史実から、核心部分だけすくいとって色をつける感じで。 |
線の変化のほかに、絵柄そのものが変わることもありますよね?
私の場合は、ある時期から意図的に絵柄を変えました。 少女漫画の絵柄だと、崩した顔もベッカンコした顔も“きれいな顔”の域を出ないでしょ。 少年誌や青年誌の表情豊かな絵、感情と表情がイコールな絵柄を見ているうちに、“きれいな顔”だけでは感情を表現できないような気がして、物足りなくなったんですよね。 以前、小林まこと先生の線がお好きで、『柔道部物語』がお気に入りだとうかがったことがありますが? はい、大ー好き!(笑) 当時、健在だった父に柔道の組み手とか教えてもらって、だいぶわかるようになりました。父はかつて柔道青年だったんです。 『柔道部物語』は、あんぐり開けた口の中には舌から歯の一本一本までぎっちり描かれているし、ヒロインの美人女子高生だろうが情け容赦なく顔の輪郭まで崩されています。 どのキャラクターの表情も、笑ってしまうほど派手にデフォルメしているのに、感情の描写は細やかで、ひとりひとりきちんと描きわけてあります。 実は、私は小林先生の作品では、『それいけ岩清水』が大好きなんですが。 |
きれいな顔は今でも当然嫌いではありませんが、“単にきれいなだけ”には飽きたのね。もともと表情の変化を描くのが好きだったし。そんな表現をしてみたいなあと思ったの。 で、思うとやっちゃう。(笑) ところが、角口(つのくち)させたりするようになったら、鼻のラインも目のラインも従来のままでは違和感が出るようになったので、少しずつ変えてゆきました。 時期的には『渕となりぬ』のころからです。そうですね、あの時期、「少女漫画を見捨てるのですか? 」というお手紙が読者の方から来ました。敏感な方は気付いていたみたい。 『渕となりぬ』では、特に乙輪がよく口をとがらせて、ぶーっとむくれていますね。
眉毛の位置が2ミリ違ってもまったく違う表情になります。その微妙な表情を描きわけたいんです。西洋的美形、東洋的美形なんて枠を越えて。 作品自体も、年とともに生の感情をむき出しにしなくなったというか、そうね、熱血じゃない方向とでもいうのかしら、そんな方向なので繊細な表情が意味を持ってくるのかな。 今の絵ならどこに(陰影用の)スクリーントーンを貼られても大丈夫です。以前は、トーンの貼りどころによっては、つまり、少女漫画用の顔のデッサンなので頬が足りなくなったり目鼻のバランスが悪く見えたりしましたが。 でも、絵柄そのものはそんなに変わっていないと思いますよ。 ええっと、私の場合は『天まであがれ!』の途中(1975年)で少女漫画から離れて、復帰したのは1999年、作品で言うと『純金の童話』でした。 わあ、それは…!(笑)
ですから、「木原先生もずいぶん絵が変わったのね」という印象がありました。 身近にずっと私の作品を見てきた友人は、「核になる部分はほとんど変わっていない」といいます。私もそう思います。 変わったとしたら、若さの勢いがなくなったというか、そうですね、外連(けれん)がなくなったのね。絵柄の核自体は、一生同じかな。
2002年7月2日電話にて
引用転載厳禁 (2002.7.24 up) |