「あ〜ら わが殿」の頃のリアルタイムのファンです。「摩利と新吾」の雑誌掲載時には、諸般の事情から店頭立ち読み派でした。そのため、話の前後がいまいち掴めずにおりました。家庭事情の改善と、文庫版発行のお陰により改めて「木原としえ」ファン「木原敏江」ファンになっております。
「摩利と新吾」入手した晩は、夫の蔑みにもめげず読み通してしまったものでした。
読み返すたび、いろいろ気が付き、ああそうなのかと思い当たることもあるのですが、「篝」については、どうしても腑に落ちないのです。
「清冽」と評される木原先生の作品の中でどうしても落ち着かないのです。
「夢の碑」外でいろいろな人物、思考、行動をお書きですが、「摩利と新吾」の中で描かれた「篝」は異質だと思えてならないのです。文庫版で、第3巻初めから第5巻3分の1までに亘る長さです。
”おひさま新吾”と”新吾がいなければ篝だった摩利””新吾のいない摩利”
少年期からせ青年期へ移る情緒面、精神面での多きな変化・成長といろいろ考えます。
ただ、どうしても「篝」以前、「篝」以降のストレートな展開と合わないのです。
紫乃さん、夢殿さんほか多彩なキャラクターの中で、唯一悪役風な「篝」にこれだけの舞台を用意し、描き込んだのでしょうか。
皆様いかがでしょうか。
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