「アフロダイAは起重機がわりってわけですね」 甲児が身を乗り出して、したり顔で言った。 「なんですってぇ」 食ってかかる自分の声で目がさめた。 先週のことだが、あの時の甲児の口調も身ぶりも、いやというほどはっきり再現した夢だった。 なによ、甲児くんったら。いくらアフロダイAが資源開発用に作られたからって、まるでパワーショベルかブルドーザーみたいに。失礼だわ。そのくせミネルバXの不幸な生い立ちには真剣に同情するんだから――。 後味の悪い結末だった。 さやかの判断は適切だった。甲児も父もみんな認めている。幸薄かった彼女のことで、誰もさやかを責めはしない。 けれども、さやかは何度となく「パートナーの手にかからなかったのが、せめてもの救いだったのよ」と胸の中で繰り返している。こうでも考えないと、自分もアフロダイAも救われない。 電子音をたてかけた目ざまし時計を、ぱっと押さえた。 「さ、起きなくちゃ。今日は午前中に三博士とガードスーツの打ち合わせの続き。昨日はシローちゃんの捜索で中断したから。午後はおとうさまの抜糸があって」 一日の予定を口に出して現実に立ち返る。私室用のスリッパに足を入れて窓ぎわに立った。乳白色の霧がベランダのすぐ向こうまでせまっている。 「なんにも見えない」 秋が近いとはいえ、まだ濃霧が立ち込める季節だ。朝日が当たる夏富士、眼下に広がる芝生、研究所の白亜の外壁、視界はすべて閉ざされている。 「まぶしい」 突然、霧が光をはらんで、白い空間全体が不思議な輝きを帯びた。快晴の空に夏の太陽が昇ったのだろう。窓を開けると霧がドライアイスの煙のように尾をひいて動き、湿った冷気が部屋に流れこんだ。 「朝霧ね。これだけ明るければ早いうちに晴れそう。そうしたら、また暑くなるわ」 何年も光子力研究所で暮らすうちに、天候の変化も見当がつくようになった。 「ああ、そうだわ。シローちゃんがパンクの修理に来るから、アフロダイAの格納庫に入れてあげてって、受付に連絡しておかないと」 無意識に「甲児くんたちが来る」という言いかたを避けたのは夢見の悪さのせいか。 「あたしは昨日のぶんまで忙しいわ」 しゃっと音を立ててジャンプスーツのファスナーをのど元まであげた。ピンクのサッシュを腰にまわす。 「うん、きれいにできた」 結び目の形が思いどおりに整うと気分が良い。姿見の中の口元にもえくぼができる。鏡の前で踊るようにくるりとまわったらサッシュが姿見のフレームに引っかかった。 「あん、やだ」 せっかくの結び目を崩さないように、そっとはずした。顔をあげたはずみにサイドテーブルのメモ用紙が目に入った。 |
「原文を書いてくださいます?」 昨夜さやかの頼みに父がペンを走らせてくれた。さやかは父の万年筆を借りて和訳を書き添えた。娘から万年筆を受け取って父が言った。 「兜博士がミネルバXを設計していた頃の日記に書かれているのではないかな」 この推測は正しいだろう。 きっとミネルバXのことを知りたくて、甲児くんはおじいさまの日記を読み直したのだわ。ミネルバX、兜博士が設計したマジンガーZのパートナー……――。 幕のおりた悲劇だが、さやかの心の底には人に言えない悔しさも残っている。 アフロダイAだって基本構造はマジンガーZと同じなのよ。甲児くんにマジンガーZの操縦を教えてあげたのは、あたしなんだから。それなのに、おとうさままで「資源開発用に開発したもので目的がちがう」なんて。 そうよ、ミネルバXはジャパニウムも光子力も持っていなかったじゃない。だから光子力ビームが使えなくて、原子ビームなんてまがい物で代用していたのよ。 アフロダイAは、ちゃあんとジャパニウム合金と光子力エネルギー。よっぽどマジンガーZのパートナーにふさわしいんだから。 ……やだ、なにを考えているの、あたし。ミネルバXだって犠牲者なのに――。 人に言えないだけに、自分の中の堂々巡りが止まない。 「もう、いや、こんなの」 行きつ戻りつする想いを持てあます。 身支度を終えてスリッパをブーツにはきかえる頃になれば、ベッドメイクのほこりもおさまっている。窓を閉める前にベランダに出た。 明るい霧が一切の光景を覆い隠している。いつもは神秘的で美しいと思う眺めだが、今日は妙にいまいましい。手すりの向こう、霧の中に腕を伸ばす。目の前で揺れ動く白い空気は、当たり前のようにさやかの手をすり抜ける。 「すぐに晴れるわよ」 立ち込める霧につんとあごをそらして背を向け、部屋に入った。窓を閉めようとサッシを引く。力が入り過ぎて、窓枠がガラガラ、ピシャンと甲高い音をたてた。その物音にさらにいらだつ。 「いいわ」 姿見の中のさやかが細い眉をきっとつりあげた。 「自分で確かめるわ。資料室か、コントロールタワーの書棚にあるはずよ」 メモ用紙を握りしめて一目散に廊下を走りだした。行きかう白衣の研究員たちが「おはようございます」と声もかけられない勢いだ。 「やれやれ、誰かにぶつからなければ止まりませんぞ」 廊下の一隅でせわし博士が嘆けば、 「気の毒に。あのブーツで向うずねを蹴飛ばされたら、痛いなんてものじゃない」 もりもり博士が犠牲者の苦痛を先取りして同情する。それでも、さやかが姿を消した曲がり角からは誰の悲鳴も聞こえず、まずは無事にエレベーターホールにたどり着いたようだ。 「勢い込んで、どこへなにしに行ったのやら。どれ、わたしは布見本を取りに行きますか」 くるりと向きを変えたのっそり博士を、せわし博士が呼び止める。 「いやいや、まずは朝ご飯です。朝ご飯をちゃんと食べないようでは良い仕事はできませんぞ」 のっそり博士がぴしゃりと自分のおでこを叩いて、 「これは肝心なことを忘れていましたわい」 もりもり博士が恰幅の良いお腹をゆすって、 「そうですよ、朝ご飯を食べなければ一日は始まらない。今朝はなんのお味噌汁でしょうな」 「それは重大な問題だ。はてさて…」 のっそり博士が腕組みをして深刻に考え込んだ。せわし博士が快活に言う。 「食堂に行けばわかりますよ」 「確かにそうです」 のっそり博士が納得顔で応えた。 「では、急ぎましょうか」 もりもり博士の言葉に、三人が並んで廊下を歩き出す。 「あれだけ勢い付いているお嬢さんです。寄り道をしたところで、わたしたちとの打ち合わせには遅れはしますまい」 のっそり博士の予想は大当たりだった。 せわし博士ともりもり博士が約束の時間より三十分早く繊維室に行くと、すでにさやかは作業台にファイルを広げて読みふけっていた。 「おや、今日はお嬢さんが繊維室に一番乗りですか。そんなに楽しみにされると、わたしたちも張り合いですな」 とせわし博士がもりもり博士をふり返った。 「そうですね。とはいえ、お嬢さん、ちょっと待っていてくださいよ。ひとつ先約がありましてね」 「はい、もりもり博士、打ち合わせの時間には、まだ間がありますわ」 せわし博士がさやかの手元に目を留めた。広げているのは資料室から持ち出した戦闘記録だ。今朝のじゃじゃ馬娘の全力疾走は、これが目的だったのかと合点がゆく。 「殊勝な心がけですぞ、お嬢さん」 「アフロダイAのところだけでも、見直しておこうかと……」 せわし博士に感心されて、じゃじゃ馬娘はばつが悪そうだ。 「いや、感心、感心。ガードスーツを作るのも、ますます張り合いですぞ」 上機嫌のせわし博士に、さやかは曖昧に「ええ」とだけ答える。 「では、せわし博士、あちらで」 もりもり博士がガラス窓越しに洗濯機が見える隣室を指差し、一足先に行く。 「そうそう、甲児くんのガードスーツの最終チェックはわたしたちがしないことには。それこそ命にもかかわる」 報告書を手に、せわし博士が後を追う。 「もりもり博士、耐水性は問題ありませんが、撥水性が大きく低下しておりますぞ」 「撥水性の回復ならそれほど手間でもない」 「しかし防水性や透湿性を確保するために、撥水性は重要」 「もちろん、手抜きはしませんよ、せわし博士。他になにか問題はありますか」 「このガードスーツに関しては特にありません。まだ何回も使っていませんからな。それにくらべて」 せわし博士が報告書をめくった。 「一番古いのは、ふむ、お蔵入りさせたほうが良さそうですわい」 「この前から使用を見合わせているものですね。超合金Zを使っている以上、簡単に廃棄するわけにはいかないが」 「なにかリサイクルを考えますか」 扉が閉じて二人の会話は聞こえなくなった。 さやかは憮然とした。 ガードスーツのメンテナンスだって、こんなに違うわ。あたしのジャンプスーツのメンテナンスは合金Z繊維の劣化データの収集が主目的なのに。 だいたい、あたしのデータの蓄積があったから、甲児くんのガードスーツがすぐ作れたんでしょ。ガードスーツまでアフロダイAが犠牲になってマジンガーZが活躍しているのよ――。 二人の博士は、さやかが戦闘記録の一番新しいページ、つまりアーチェリアンJ5に関する記述を読んでいたことに気づきもしなかった。ひとりきりになったのを見澄ましてさやかは小声で音読する。 「アフロダイAの格納庫に保管中、パートナー回路の作動によってマジンガーZとアーチェリアンJ5と戦闘現場に向かう。 ……なによ、これ」 ミネルバXが、アフロダイA、すなわちさやかの制止を振りきってマジンガーZの後を追ったことは書かれていない。 あの時、さやかは全身の力を込めて操縦桿を握った。記録に残らないミネルバXの渾身の抵抗を、さやかの五感ははっきり覚えている。 「原子ビームでアーチェリアンJ5の右翼を粉砕してマジンガーZを救う……? あたしだって何度か…」 もうこれ以上読む気分ではない。アフロダイAが活躍した記録を探そうという気も失せて、ただ機械的にぱらぱらと前のページをめくる。 あたしはあたしなりに考えてやってきたわ。だけど、もし、アフロダイAにパートナー回路があったら、この戦闘記録はどんなものになっていたのかしら――。 「違う、とんでもない」 パートナー回路だけではない。ミネルバXは、ルストハリケーンも、ロケットパンチも、そしてブレストファイアーまで持っていた。光子力ビームこそなかったが、原子ビームも十分過ぎるほどの破壊力があった。ミネルバXは、アフロダイAが持たない、いや持ち得ないマジンガーZの武器を完備していた。 気がつかなければ良かったと後悔するが遅い。さやかの脳内で「アフロダイAは資源開発用に開発した。つまり開発目的からしてミネルバXとはちがう」という父の言葉が繰り返し響く。 「どこか具合でも悪いんですか、お嬢さん。むずかしい顔をして」 「え、あ、のっそり博士、おはようございます。なんでもありませんわ」 さやかはあわてて笑顔を作った。 「さては、待ちくたびれましたかな」 のっそり博士が重そうに生地見本のスーツケースを作業台に置いて、いたずらっぽく笑う。 「そんなことは…。まだ、約束の時間になっていませんもの」 「おや、調べ物の最中でしたか」 「いえ、調べ物じゃなくて…。少しアフロダイAの記録を見直したいと思ったから…」 さやかは自分でも手に負えないやっかいな感情を、資料の閲覧という行動によって人目にさらしている気分になる。ことさら柔らかくほほ笑んで、 「また後で読みます」 と、戦闘資料を閉じると、目立たないように椅子の上に置いた。 作業台にメモ用紙が残った。今朝、自室を飛び出した時に握りしめて、しわくちゃになっている。 「それなら、せわし博士ともりもり博士を待つ間に、寸法を測ってしまいましょうか」 のっそり博士が内線電話で女性スタッフを呼ぶ。さやかはメモ用紙を腰のポケットに押し込んだ。 「そういえば、このジャンプスーツを作る時も採寸が終わってから合金Z繊維の製作にかかったわ」 「そうですよ。必要量がわからないと布も作れません。貴重なジャパニウムを使うんですからな」 のっそり博士の視線につられて、さやかも大きなガラス窓越しに隣室を眺める。せわし博士ともりもり博士が生真面目な顔で、パーツごとに甲児のガードスーツをチェックしている。 廊下側の扉が開いて、白衣の女性スタッフが声をかける。 「お待たせしました」 「いやいや、早いものですよ。お話したとおりお嬢さんの採寸なんですが、……ええと、そうですな」 のっそり博士が繊維室をくるっと見まわした。目隠しになるものがなく、隣室からも丸見えだ。 「お向かいの会議室が空いています」 スタッフが半開きの扉から見える廊下を指差す。 「それは好都合です」 博士が書類をはさんだバインダーをスタッフに渡す。 彼女はさやかと連れ立って会議室に入ると、扉に使用中の表示を出して鍵をかけた。さやかが腰のサッシュをほどく。 「あ、いいわ、これでまとめちゃお」 しなやかだが滑らない薄布で髪をきゅっと束ね、畳んだジャンプスーツを机の上に置く。 「まず、背中から測りますね」 「はい、お願いします」 白衣のポケットから出したメジャーを伸ばして、さやかの背筋に当てた。 「着丈62、背丈48、背幅37、裄(ゆき)が74で袖丈は55…」 手際よく目盛りを読み取り、用紙に数字を書き入れる。最後に膝の幅と周囲、足首の周囲を測って、スタッフが言った。 「これで終わりです」 「はい、ありがとうございました」 記入漏れがないかバインダーの用紙を確認するスタッフと背中合わせになって、さやかは手早くジャンプスーツにそでを通した。 のど元までファスナーを引き上げてとりあえずの身づくろいがすむと、つい肩越しにスタッフの手元をのぞきこんだ。好奇心に少々の心配が加わったさやかの表情にスタッフも目で笑って、「どうぞ」とバインダーを差し出した。 「いえ、後からいくらでも見られますから」 さやかはサッシュをほどいて軽く髪をふりほぐし、照れ笑いを隠す。 「じゃあ、わたしはお先に。バインダーは、のっそり博士にお渡しします」 スタッフは愛想良く言って会議室を後にした。 さやかが身支度を終えて繊維室に戻った時、もう彼女の姿はなく、バインダーは作業台に伏せてあった。せわし博士ともりもり博士はまだ隣室で甲児のガードスーツをチェックしている。繊維室では、ひとりのっそり博士が壁ぎわのキャビネットの鍵を開け、右から左へと見渡している。 「お嬢さんのガードスーツ関係の資料は、ここからここまで」 痩身の両腕一杯に資料を抱きこんだ。 「どれ、どっこいしょ」 のっそり博士の盛大なかけ声に、さやかがあわてて飛んできた。 「一度にそんなにたくさん持たないでください。あたしも運びますから。ぎっくり腰になったらどうするんですか」 博士が両腕に抱え込んだ中からとりわけ分厚いファイルを二つ三つ抜き取って、身ごなし軽く作業台に持って行く。 「ぎっくり腰、いや、これは確かに」 のっそり博士がこぶしでトントン腰をたたいて、のどかに応える。「年寄り扱いするな」と怒るでもない。その間に、さやかはもう一往復して重いものはあらかた運んでしまう。 「おや」 博士が床からメモ用紙を拾い上げた。 「ミネルバのフクロウは宵闇の訪れを待って飛び立つ…。これは、お嬢さんの字ですね」 キャビネットと作業台を往復するうちに、ポケットから落ちたらしい。 「そうです。すみません」 「いや、なくさなくて良かったですよ。ふむ、なるほど、ミネルバとフクロウ、なかなか良い取り合わせですね」 博士たちは雑談好きだ。いつも楽しい話題が自在に飛びまわる。 「取り合わせって?」 さやかも博士たちとの雑談は好きだ。なにしろ三博士と一緒に仕事をするうちに、作業の手を休めず雑談を楽しむ術を身につけた。 「たとえば『知恵の女神に森の賢者』とも言えます。やれ、どっこいしょ」 しごく軽い荷物でも、いや、手ぶらであってものっそり博士はかけ声が出る。 「あと一回運べば終わりますね。はたまた『戦いと勝利の女神に猛禽(もうきん)』と解釈しても良し」 さやかが息を呑む。 「猛禽」 「そうです。姿かたちは愛嬌たっぷりでも、フクロウは狩猟上手、中には、夜の殺し屋と呼ばれる種類もあります」 さやかは二つの光景が見えたような気がした。 兜と甲冑で身を固めた女神の合図で飛び立ち、力強い飛翔で闇にうごめく獲物に襲いかかるフクロウ。それは、足の硬い鉤爪(かぎづめ)で獲物の首をへし折って絶命させ、鋭く曲がった嘴(くちばし)で肉を切り裂き、血をしたたらせる猛禽。 そして、原子ビームでやすやすとアーチェリアンJ5の翼を砕き、ブレストファイアーで優雅に原子力発電所を襲ったミネルバX。 「ふむ、そういえば、ミネルバ(アテナ)以外に猛禽を従える女神がオリンポスにいましたかな。 おっと、これを忘れたら、せわし博士が困る。いやいや、結果として、わたしたちも困る」 のっそり博士が、せわし博士の道具箱を持ち出した。 「神々の王ジュピター(ゼウス)の鷲は猛禽だが、女神となると、はてさて。ミネルバと同じくオリンポス筆頭格の女神たちの愛鳥は、女王ジュノー(ヘラ)の孔雀に…」 「ビーナス(アフロディティ)は白鳥ですわ」 と言い継いで、さやかは自分の言葉に考え込む。 ――やっぱりアフロダイAの力不足はどうしようもないというの? 「今日使うもの…」 博士が作業台を指差し確認する。 「よろしい。忘れ物はない」 キャビネットに鍵をかけ、白いひげをなでた。 「ふむ」 作業台に今のジャンプスーツの型紙を広げる。のどかで人好きのする話し方は変わらないが、雑談に興じる雰囲気はさっぱりと消えた。 「セパレートにすると生地はどれだけ必要になるか」 今日の採寸と前回の採寸記録を照らし合わせる。 「お嬢さんのサイズは、このジャンプスーツを作った時とほとんど変わっていませんね」 スーツケースをあけて生地見本を取り出す。 「まず型紙を作るわけですが、ピンクと白の案配はどうするか…。お嬢さんの希望はありますか」 のっそり博士がさやかの目の前に二色の生地見本を並べた。 「え、あ、そうですね。じゃあ、ピンクを主体にして、白はアクセントに」 上の空で答えた。のっそり博士はさやかの言葉をそのまま書きつける。 「ただ、生地の都合がありますから、大まかな案配と考えてください」 「ええ、わかっています」 またも生返事だ。おおよその試算をするのっそり博士の横で、さやかは所在ない気分で生地見本のケースを引き寄せた。見慣れた色の生地に目が留まる。 このえんじは甲児くんが一番上に着ているベストの生地ね。こっちのオレンジ色はジャケットだわ――。 かたい手触りだ。特にえんじの生地は布と思えない重量感がある。昨日は色合いの美しさに感激した自分の新しい生地も、今となってはひどく薄っぺらに感じてしまう。 「全然違うわ」 「なにか言いましたか、お嬢さん」 「このえんじの生地、すごく硬いですね」 「マジンガーZが機械獣のどんな攻撃にさらされても、操縦者の身体を守れるようにしてあるんですよ」 「アフロダイAだって機械獣に攻撃されるわ」 「ですから、これから、ちゃんとガードスーツを作りますよ」 「ずいぶん生地の厚さが違うみたい」 「いうなれば戦闘用と護身用の違いというところです」 のっそり博士の穏やかな説明がさやかは無性に腹立たしい。 「機械獣はアフロダイAだからって、手加減してくれるわけじゃないわ。博士、あたしのガードスーツもこっちの生地で作ってください」 「むちゃを言うものではありません。この生地はお嬢さんの体格や体力を考えて、ぎりぎりのところで設計したんです」 「どういうふうに、ぎりぎりなんですか」 じゃじゃ馬娘が切り返す。 「どういうふうに、ですか、ふむ」 強度や防御性のデータを例に挙げたら火に油を注ぐ。当たり障りがなくて、違いがはっきりしたデータはなにかと思案し、一拍おいて話し始めた。 「例えば防水性ひとつ取ってもですね、甲児くんは体重百キロを、お嬢さんは体重60キロを想定しています。荷物を背負う場合もあるでしょうからね。 お嬢さんも時々やりますが、膝を抱えて座ったりする…」 のっそり博士がさやかの顔をのぞき込んだ。 「しますね?」 重ねて問われてさやかが赤くなる。この前すねてアフロダイAでやったばかりだ。 「と、ですね、全体重がお尻にかかる。それで下が濡れた芝生だったりすると、お尻にかかる体重の圧力で芝生についた水滴が衣類に浸透してしまう。単に耐水性や撥水性があるだけでは、浸透圧力は防げないんですよ」 とりあえず、さやかは説明を聞いている。けれども言い出したら聞かないじゃじゃ馬娘は理屈を受けつけない。のっそり博士は「いやはや難問が降って湧いたわい」と思う。 (2006.07.16 本文 UP) |