晩秋と初冬のあいだに

原作に基づく私の独断的登場人物の紹介


 ―― 今年は雨が多い。
 後部座席に座った早乙女が腕組みをしながら窓を見た。梅雨明けを忘れたような夏の長雨にたたられて、浅間山麓の紅葉(こうよう)に例年の鮮やかさはない。今日も晩秋の霧雨が立ち込め、濡れ落ち葉がタイヤに踏みしだかれ路面に張り付いている。

 ―― あの日も凍(い)てつく雨が降っていた。
 自らリョウこと流竜馬を迎えに行った早春を思い出す。
 ―― そして、リョウに隼人を迎えに行かせた日の雨も冷たかった。
 早乙女は“迎えに行った”と記憶している。しかし、その現場を目撃した者は十人が十人とも彼らの所業を“拉致”と表現するだろう。
 今、運転席でハンドルを握るのは二番目に拉致された男、神隼人だ。
 ゲッター線の発見者でありゲッター計画を双肩にになう早乙女は、常に命を狙われている。プロの護衛が政府から派遣されているが、オフィシャルな護衛は人目を引き過ぎるきらいがある。
 隼人が早乙女研究所に来てからは、早乙女の外出時は彼がハンドルを握ることが多くなった。なにしろあらゆる危機に対して並外れた実戦対応型、いや、より正確には攻撃型の対処方法を身につけている。彼の護衛は―― 質的には異なるとしても ――プロのそれにも引けを取らない。その上、運転技術は文句をつける余地をなく完璧だ。
 霧雨がじわじわ乗ってくるフロントガラスを間歇のワイパーがぬぐう。大きくカーブを曲がると研究所のドームが見えてくる。浅間山の山頂を隠す雲か霧か、風に流れてたなびいている。天候は回復傾向にあるらしい。空が少し明るくなってきた。


 「よっ、おっと」
 早乙女が自分の荷物に振り回されてよたついた。ジュラルミン製の現金輸送箱と見紛うような角張った鞄だ。学会で使った資料が詰め込まれて異様に重い。結露した床は滑りやすく、彼は相変わらずの下駄履きで足に力が入らない。
 横から隼人の左手が伸びて無造作にジュラルミンの箱を持ち上げた。重力が遮断されたように箱が運ばれてゆく。
 早乙女が隼人の肩を見る。この長身の男がここへ来てそろそろ半年になるだろうか。もともと鍛えた体だったが、さらにひとまわり筋肉がついた。しなやかな弾力のある筋肉だ。
 ―― 瞬発力と持久力、わしのゲッターを動かすには両方が必要だ。それも桁外れの。これ見よがしに筋肉をつければいいってものではない。
 早乙女がわずかに目を細めて、常人離れした訓練をこなしてきた身体に満足を示す。早乙女の視線に気付くはずもなく隼人は鍵を受け取り研究室のドアを開けた。
 「わしの机の上に置いてくれ」
 隼人が音も立てずに片手で机の真中にジュラルミンの箱を据えた。


 「お帰りなさい、お父さま。先週分のリョウくんたちのデータを整理しておきました」
 ミチルが小脇に抱えてきたファイルを差し出した。コンピュータ画面は見にくいと言う父親のために、彼女は印刷物での資料管理もしなければならない。下駄履きといい、資料の扱いといい、早乙女の効率とか能率は他人と少々違うらしい。
 「おう、そうか」
 彼が長年心血を注いできたゲッターを生かすも殺すも操縦者次第とあって、竜馬や隼人の成長ぶりは早乙女の目下の最大関心事だ。肘掛けのついた椅子にどかっと座り込むと白衣も羽織らずそそくさとファイルを開き、目を通しながら声を張り上げた。
 「ミチル、コーヒーを淹れてくれんか、わしと隼人くんに」
 ざっと一覧しただけでも綴(と)じこまれた書類には、訓練の成果が如実に数字となって現われていた。
 「隼人くんも一服するといい」
 ファイルのページを繰って隼人に声をかける。
 「はい、では」
 隼人が手近の椅子に座った。早乙女は三人の訓練メニューや、成果、課題などの細かい記述に見入っている。無理に無理を重ねて捜し、最後は早乙女自身がこれこそはと見込んだ逸材たちだけに(若干一名例外もいるが)、打てば響くような手ごたえがうれしくてたまらない。
 「お父さま、さっき資料を見てて気がついたんだけど」
 ミチルが持ってきたマグカップの一つを隼人に手渡しながら、思い出したように告げた。
 「明日って、隼人くんの誕生日なの」
 「ん? 」
 早乙女が書類の一番上にある生年月日欄に眼を移した。ミチルが、「ほら、ね」という笑顔を父に送り、隼人を振り返る。
 「お誕生日おめでとうは、明日ね」
 「え? ああ、そうだ。すっかり忘れてました」
 早乙女研究所に来てから隼人の生活はがらっと変わった。けれども、非人間的という点では校舎に立てこもっていた日々と良い勝負だ。平穏を前提とする日常生活の小さな祝い事を持ち出されても戸惑うしかない。
 「なんか、ぴんとこねえな」
 ブラックコーヒーをすすったついでに口の中でつぶやいた。あまりの違和感に、言われ慣れない祝いの言葉に照れることもできなかった。


 夜半には雨が上がり、雲が東の地平に退(ひ)いていった。
 午前5時、日の出にはまだ間がある。丸いドームを乗せた研究所の塔の向こうに、北斗七星が長々とひしゃくの柄を延べている。建物を取り巻く木立にバイクのアイドリングの音が響く。
 「晴れてよかった。お誕生日の話から、こんなことになっちゃって」
 頭上を見渡したミチルが、アルコアまではっきり見えているわと七つ星を数えた。
 「いいプレゼントですよ」
 隼人がふふっと笑ってフルフェースのヘルメットに前髪を押し込む。
 「ミチルさんに朝早くから付き合わせちまって、おれのほうこそすみません」
 隼人の朝食を用意するためにミチルは4時起きだった。
 「気にしないで。急な話はいつものことだし、『善は急げ』って隼人くんを急(せ)かせたのはお父さまだもん」
 「『善は急げ』ってより、やっぱりこのままじゃヤバイですよ。これで面倒が起きてゲッターが動かないじゃ目も当てられませんや」
 ミチルも笑い話を思い出したように、うふふと笑った。
 「そうよね。どうして今まで誰も気がつかなかったのかなあ。私もだけど、みんな安心して隼人くんに頼んじゃって」
 隼人がにやっと、しかし、楽しそうに笑ってグラブをはめた。
 「黙っていた俺も俺です。まあ、今日中にカタァつけてきますよ。場所が遠いってのが難点だが、それ以外はなにも問題ない」
 「うん、隼人くんなら大丈夫よ、きっと」
 かじかんだ両手に白い息を吹きかけながら、ミチルも楽しそうに笑う。
 「おれのことより、ミチルさんもちゃんと休んでください」
 ブーツがカツンとスタンドを蹴り、隼人がすっとバイクにまたがった。
 「ありがとう。うん、あと2時間は仮眠できるな。山道は凍結もありだから、気をつけてね」
 エンジン音とガソリンの匂いを残して隼人が走り去った。
 音速も楽に出せるゲットマシンに乗り慣れた今となっては、バイクくらいではスピード感に酔うことはない。それでも、全身に風圧を受け、身体の下にガソリンを抱え込み、エンジンの振動が肌から直接伝わってくるこの乗り物もなかなか良いものだ。
 車体の重量感、急勾配、ワインディングの遠心力、右に左に身体ごと大きく車体を傾斜(バンク)させる。肩を入れ、腰を引き、重心をずらし、膝頭すれすれに路面が迫る。夜明け前、ヘッドライトが煌々(こうこう)と照らし出す前方の道路は無人の舞台を追いかけるようだ。こんな感覚を楽しむのはどれだけぶりだろう。
 山道を降り広い国道を東に向かう。明けの明星、人類はどれほどの昔から呼び習わしてきたのか。白みかけた空に金星がさらに白く輝いている。
 ―― 内惑星。
 ふっとこんな単語が浮かんだ。
 ―― 金星だって好きで地球の内側を回っているわけじゃねえだろうに。いや、案外、気に入ってるかもしれねえな。それとも、となりの惑星のことなんか全然気にしてねえか。
 がらにもなく天体を擬人化した自分がおかしかった。くっと喉で笑う。
 右手首を絞り、スロットル全開。爆音が心地良い。トップギアの軽さもいい感じだ。


 竜馬が目を醒ますととなりのベッドはすでにもぬけの殻だった。だいぶ前に起きだしたらしくぬくもりもすっかり消えていた。
 朝食の場でも隼人の姿はない。
 「てめえの居所をはっきりさせておけってのが、ゲッターチームの鉄則だよな。隼人のヤツ、どこでなにやってんだ? 」
 どんぶり飯に卵をぶっかけてかきこみながら、一足遅く食堂に来た武蔵にぶつぶつ問い掛けた。
 「そのへんにいるんじゃねえの? 」
 武蔵は気にもとめず、ぐっすり寝たあとは腹が減るよな、ご飯大盛りねと言ってトレーに朝食の一セットを載せて竜馬のとなりに座り込んだ。
 ぱたぱたとミチルが駆け込んできた。
 「仮眠のつもりが寝過ごしちゃった」
 竜馬が隼人の居所を聞こうとする前に、ミチルは食堂を見回して、「あれ? 元気はまだ起きてないの? 遅刻するじゃない。たたき起こさなくちゃ」と、来た時と同じようにぱたぱたと出て行った。
 新入りの武蔵は朝食が終わると、ゲットマシンの操縦者としての基礎訓練メニューがぎっしり詰まっている。
 「複雑な操作だが、いちいち考えていたら実戦では間に合わない。反射神経、運動神経が人並というならトレーニングでカバーするしかない」
 そうため息をついたのは、武蔵ではなくて早乙女のほうだ。
 当人は全く悩んでいない。朝、嬉々として訓練室に入り、身体を絞り上げるような訓練で悲鳴をあげ続け、夕方にはよれよれになる。それでも、たらふく喰ってしっかり熟睡すると、翌日はまた機嫌よく訓練室に向かう。これを一月二月と続けている。
 身体と精神構造がタフと言うだけでは説明がつかない。すなわち、ゲッターに並々ならぬ愛着があって初めてできることだ。しかも、彼の場合は一目惚れに近い。それは時として理屈を越えて言語を絶する激しさを秘めている。
 すでに基礎訓練を終えた竜馬や隼人には、さらに高度なトレーニングメニューが組まれている。大まかには個人トレーニングとチームトレーニングに分けられるが、今日は個人メニューだけに変更すると朝食が終わってから竜馬は聞かされた。
 「ええ、隼人さんが外出しているためです。公用だそうです」
 「あ? コウヨウ? 」
 変更を伝えた所員もそれ以上は知らされていないという。


 晩秋から初冬へと山の季節は街中より一足早い。武蔵が基礎訓練でよれよれになる時分にはつるべ落としでとっぷり日も暮れている。
 昨夜ミチルに渡されたデータの検討を終えた早乙女が、竜馬と武蔵、そして、彼らの訓練担当者、メカニック担当者たちを自分の研究室に集めた。検討結果をもとに今後のスケジュールを再調整するためだ。
 集まったメンバーの顔ぶれを確かめた早乙女が、「隼人くんもおっつけ戻るだろう」と話を始めたところに、バイク用のヘルメットを抱えた隼人が入ってきた。
 「おう、帰ったか」
 「遅くなりました」
 「いや、まだ始めておらん。それでそっちの首尾はどうだ? 」
 「上々ってやつです」
 外野席に置かれて事情を聞きたい竜馬たちが口を開く前に、「隼人くん、帰ったんですって? 」とミチルが小走りに現われ、続いて元気が転がり込んできた。
 「どうだった? 」
 「カタァつけました」
 「そりゃ、隼人くんだものね。でも、おめでとう」
 何事かといよいよ室内に不審がつのった。一同の気配を察して隼人が視線で問うと、もうよかろうと早乙女も目で答えた。


 「免許とってきたんだ」
 隼人が少し斜に構えたいつもの口調で言った。
 「めんきょ…? 」
 「あ、なんだ? 」
 ミチルが笑いをこらえている。
 「自動車の運転免許さ。博士の護衛がいつまでも無免許運転じゃまずいだろ」
 相変わらず口調はぶっきらぼうだが、堪(こら)えかねた笑いが口元に浮かんでいる。
 「無免許って、おい、おまえ」
 「じゃ、なにか、今まで」
 竜馬や武蔵の反応を見ながら、早乙女までにやにやしている。
 「校舎に立てこもってたおれが、リョウ、お前に連れ出されて無理やりジャガー号に押し込まれて、そのまんま今だぜ。いったい、いつ免許なんかとってる暇があったんだ? 」
 所員一同が自分たちの誰よりも、安全、快適、的確に自動車を動かす男を見た。そして、それは彼が過激派高校生時代に、実地いや実戦で身につけた技術だと思い至る。
 「だいたいが日本って国は18歳にならないと、自動車の免許はとれねえんだ」
 「今日、隼人くん18歳のお誕生日なのよ」
 所員たちの間に失笑とも苦笑ともつかない笑い広がった。
 「そりゃ、免許持ってるかどうかと運転のうまいヘタは関係ないな」
 武蔵の思考はすっきりしたものだ。
 「確かによ、ゲットマシン操縦者が無免許運転でパクられてゲッターが出動できねえなんざ、シャレにもならねえぜ」
 竜馬が妙に真顔で納得している。
 「おねえちゃん」
 元気がそっとミチルの手をひっぱった。
 「免許って一日でとれるの? 」
 彼は研究員たちが「学生時代に夏休み一月でとった」「仕事の合間に教習所に通ったら三か月もかかった」と話していたのをこの前聞いたような気がする。
 「えっと、人によるの…、かな…。うん、多分」
 歯切れ悪い生返事だ。
 「ふーん…。人によって…、ねぇ」
 それにしても三か月と一日じゃあ、あまりに違うよなと元気が首をひねっている。
 「場所によって違うんだ」
 隼人が軽く言う。
 「場所? 」
 「ああ、試験場に行けば一日で簡単にとれるのさ。ところが教習所なんてところに行っちまうと何日も何か月もかかっちまう」
 「なるほどねー、試験場と教習所の違いなんだ」
 元気は、試験場と教習所の違いにも、隼人の言う“簡単”の具体的な難易度にも疑問を持たず、この後かなり長い間、自動車の運転免許は簡単に一日でとれるものだと信じていた。
 「そういや、おれも来月で18だ」
 竜馬の一言で場が静まった。所員が声にならない会話を飛ばす。
 ―― 隼人さんはバイクの免許は持っていたんですよね。リョウさんは…。
 ―― 無縁でしょう。
 ―― リョウさん、車を動かしたことあるんですか? 
 ―― いや、ないはずです。
 ―― では、彼の運転歴はイーグル号だけ…? 
 「ま、車は前後左右にしか動かねえからな」
 所員たちの凍りついた笑顔を尻目に、竜馬がひとり小鼻をふくらませた。
 ―― リョウさん、試験場までイーグル号で行くつもりなんでしょうか? 
 ―― やりかねませんよね…



◎お断り◎
竜馬と隼人の誕生日は、ライカさまが私の6000ヒットのリクエストで書いて下さった『追儺の鬼』の設定を流用させて頂きました。
ライカさまのサイト GreatRobotJamはこちらです。
(2002.3.26 up)

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