あとがきに代えて



 当初、「2か月で全8回の物語」と心積もりして始めた3本目の妄想竹は、終わってみたら1年1か月、10万字を越える大妄想竹林になっていました。
 不定期で不慣れな私のお話作りに最後までお付き合いくださった皆様にはお礼を申し上げます。
 終了時には、多くの方から掲示板にねぎらいのお言葉を頂き感激しました。その中から、この妄想竹をリクエスト下さった美々庵さまのお書き込みを転載いたします。あわせて私の(現時点での)振り返りを書かせて頂きます。


 ゆりあ様、立派な妄想竹をありがとうございました。3万ヒットの記念プレゼント以上の重みのある長編小説になりましたね。何よりも欧州での摩利の、私たちが知らない時間を描いたお話としてだけでなく、しっかりとしたビルドゥングス・ロマン(というのでしたっけ?)教養小説、成長して行く姿を描いた小説として成立しているところが、木原先生の作風にも似て、違和感なく気持よく楽しめました。

 ゆりあ様のご苦労を思うと、もったいないくらいな気がします。でも、お話が進むにつれ、ゆりあ様の筆の運びもどんどん自由になって行ったような感じも受けました。登場人物を自家薬篭中のものにしてしまったような。最後の方の摩利の心の動き、大人の世界を見て見ぬふりをしつつ、自分の意思を貫く、ちょっと食えない(笑)少年、摩利の姿にはそうそうそうなの、これが摩利の長所であると同時に弱点なのよね〜、などと一人うなづいてしまいました。
 それに驚いたのはボーフォール公をこうまで動かすことができるとは!ということです。あの公をこんなに人間としての厚みを持った存在として描けるとは。以前より、公のことがもっと好きになりました。

 そして最後はちょっとした謎ときをはさんで見事な着地っぷり。粋ですね。私もしっかりやられました。アグネスの「おもいをこめて、まず告げて」。ちょっぴり哀しく、でも爽やかな読後感も木原先生に通底するものがありました。
 本当に長い間、ありがとうございました。


摩利くんのアンファンテリブル時代、ボーフォール公にいかにしてラブ・アフェアというものを教授されたか ―― これが美々庵様から頂いた“御題”でした。
 貿易商として国際的に活躍していた父・鷹塔伯爵とともにパリで暮らした13歳から15歳の2年間、新吾を日本に残して、欧州で摩利はどのような経験をしていたのか? 
 そのあたりを書き連ねたわけですが、以下に私の妄想のモトを若干ご披露いたします。


 まずは、摩利成人後の番外編3作をふくめて『摩利と新吾』の中で、断片的に語られるあの時代の摩利と周囲の人々の様子を拾ってみたわけですが…。
 ウルリーケが新吾と初めて会ったころ暴露したところによると、「公爵にとられるまで あなたの親友はわたくしの姉とただならぬ関係だったのよ」
 ウルリーケのお姉さん? ――  『摩利と新吾』本編・番外編ともに、姿かたちどころか、名前さえ明らかにされていない女性です。
 「摩利が1回目の渡欧した時にただならぬ関係になって、2回目に渡欧する前にパリにもベルリンにもいない。いったい、今はどこで、なにをやっているの? 」状態の従姉。
 そして、なぜかウルリーケは、姉と摩利のいきさつを知っている。
 しかも、この暴露劇は“ウルリーケとボーフォール公が組んで”の演出……。


 ボーフォール公とウルリーケ?
 ウルリーケは結婚していた期間は定かではありませんが、それ以外はベルリンに住んでいたと思われます。(ただ、義弟シュテファンがベルリン在住らしいので、嫁ぎ先もベルリンだった可能性が高いでしょう。どちらにしても、結婚期間は短かったので、彼女は人生の大半はベルリンで過ごしていたと思われます)
 それなのにパリに屋敷を構えるボーフォール公と共謀して、再会早々に摩利を困らせるようなおふざけを仕組むとは! 
 すなわち、このふたりは単に面識があるくらいの知り合いではないと思われます。公にとっては、ビジネスパートナー思音の亡妻の姪、いうなれば姻戚だけの関係ではないのかもしれない。では、そこにどんな事情があったのか?


 そんなところからウルリーケの人生をたどってみると、「生涯一度のプラトニックラブを抱えたまま親戚筋の職業軍人と結婚し、二十歳になるやならずで未亡人」という状況が浮かびます。
 摩利が2回目に渡欧したとき、つまり、新吾が初めて彼女に会ったときにはすでに彼女は未亡人でした。
 ということは、その3〜5年前、摩利が在欧中にウルリーケのプラトニックラブにからむドラマがあったのかもしれない。
 なにしろ、摩利は「インドの彼」が英国人の父とインド人の母との間に生まれたなど、ウルリーケの初恋事情をかなり詳しく心得ています。
 ちなみに、ウルリーケの「インドの彼」と「夫(シュテファンの兄)」は、折々に関係者の間で思い出として語られますが、その姿は回想場面に1回描かれているだけです。

 ……、こんな感じでこまごまと作品全編から、摩利をはじめ思音、ボーフォール公、あるいは新吾たちのあの頃の片鱗を拾い集めてその間の空白をつなごうとしてみましたが、さて、つながっているやら、いないやら。



 先の美々庵さまのご感想へのお応えをかねて、思いつくままにいくつか。
 「木原先生の世界に通じる」とは、ありがたいながらも面映ゆく、ひとたびわが身を振り返ればひたすらおこがましい思いです。
 ただ、この妄想竹の中では、私が『摩利と新吾』という作品をどう見ているか、つまり私の原作を読む時の視点は、はっきりと出したつもりです。すなわち、「時代があって、キャラクターとドラマがある」という見方です。
 当時の時代背景を書きれる力量などはあるはずないのですが、最低限の背景はおおまかにさらっておきたいと思いました。が、果たしてできているのかどうか、はなはだ疑問です。

>大人の世界を見て見ぬふりをしつつ、自分の意思を貫く、
 摩利くんは理論武装が上手ですからねえ。持堂院3年生に進級時、寮の部屋替えで新吾と別居?に踏み切った理由など、「われながらうまい理屈をつけたもんだよ」と本人が感心しているくらいです。
 ただ、後に、「自分のソツのなさが嫌い」だと趣旨の本音を美女夜に漏らしているので、まだまだナマの摩利が見える少年時代、日頃は不安定な顔を見せていたのかなと思ってみたりもしました。

>ボーフォール公
 私はボーフォール公というキャラクターが面白くてしかたありません。
 ものごとを深く考えているのか、何にも考えていないのか、今ひとつ掴めない人です。
 が、あえて憶測してみると、深く考える思考力はいくらで持ち合わせているけれど、考えても仕方がないと判断して意図的に思考停止していることが多い。そんな感じがします。
 生まれたときから、将来は「ボーフォール公爵」になることが決定されていて、それ以外の何者にもなれないし、本人もなる気がない。この枠からはみ出す物事は考えないことにしているのではないか。
 自分の限界をきっちり見切った上で、社会的にも経済的にも一握りの人に許されるあらゆる特権を、不敵なまでに享受し、謳歌し、味わいつくす自信家。それも、ノブレス・オブリージ(特権を享受するものは、それ相応の義務を負担するという)の裏表を知悉した上でのことでしょう。先祖伝来の高貴な血の性、すべて当然としてこなしてしまう。
 そんなイメージが私の中にはあります。
 『ユンタ―ムアリー』の中で、摩利が「本気にはならない」と言っていますが、“本気にならない生き方”、すなわち現世的な自己実現が容易な環境を先天的に付与されながら一種の虚無感を引きずった生き方は、(意識しているかどうかは別として)、ボーフォール公の生き方を写しているような気もします。
 今回はボーフォール公の本宅というか大邸宅を書く暇はなかったのですが、そこは由緒ある大貴族の家に歴代伝わるもの、さらにはボーフォール公自身が蒐集したものと、美術品や宝飾品の宝庫だったと思われます。少年時代の摩利は、絵画、美術品、宝石、楽器などの鑑識眼の基本訓練をそこで受けたはず…、などと妄想していました。ほとんど『エロイカより愛こめて』の世界ですね。

 連載形式で作話をしたのは私にとって初めてのことでしたが、キャラクターのノリや話の勢いで途中からずいぶん予定が変わり、ずいぶんあわてもしました。
 終幕にはアグネスに死んでもらうつもりでスタートしたのに、2か月過ぎた頃からキャラクターたちの自己主張が激しくなり、「わたくし、死にませんわ」「え? だって、それでは私の予定が」「でも、わたくしは死にませんの」などという事態になってしまって。
 予定どおりのプロットで進めるか、変更するか…。結局、「ええい! ままよ! 」とばかりに流れに任せてみました。本当、どうなることかと思いました。
 そうしたら、なんといつの間にやらボーフォール公が「女性とのそこはかとないプラトニックラブ」を演じてくれたりして。うわ〜〜、似合わないっっ! うっふっふ、うれしい。(はぁと)
 これくらいボーフォール公は私にとってノリがよく楽しいキャラクターでした。美々庵さまの“御題”から少なからずずれて、なんとなくボーフォール公に比重があるのはそんな私的事情によります。

 作中いたらぬことが多々ありましてお目ざわりかと存じます。しかしながら、今回の妄想竹栽培の最終目標は、大変低水準な話ですが「とにかく作品を完結すること」でしたので、今回はこれで良しとお目こぼし頂ければ幸いです。
 それでは、長々とお付き合いくださいました皆様に再度お礼を申し上げ筆を置くことにいたします。ありがとうございました。

(2002.4.18 up)

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